秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「イエス・キリストにある生命の喜び」  フィリピの信徒への手紙4章2~7節

2016-01-24

 喜びの手紙と呼ばれているこの手紙の冒頭には、「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜んでいます」とあります。 マケドニア州の活動拠点として誕生したフィリピの教会に書き送られた、パウロの公の書簡です。 その中に二人の女性の名前をわざわざ挙げて、パウロは獄中から教会に語りかけています。 二人は教会の立ち上げに尽力した人たちであったのでしょう。 どのような事態が起きていたのか、私たちには分かりません。 分かっていることは、二人はフィリピの教会になくてはならない人たちである。 その二人に、「主において同じ思いを抱きなさい」。 そのために教会の周りの人たちも、二人の和解のために祈って、働いてほしいとパウロが願っていることです。 「同じ思い」とは、いったい何でしょうか。 パウロは、「主において常に喜びなさい。」と、教会の人たちに直に語りかけるように勧めています。 私たちが感じる、自然とわき上がってくる「喜び」とは違うもののようです。 パウロは、「キリストにある喜び」、「聖霊によって与えられる喜び」と言っています。 キリストに結びついて、その恵みの中に身を置いている。 それがどこであろうが、目に見える場所などどこでもよいのです。キリストにおいて与えられる恵みの場所であるのかどうかが、パウロには問題なのです。 ですから、パウロは牢獄の中からでも「喜びなさい」と勧めることができるのです。 
 パウロは、「常に喜びなさい」、 周りの状況に拘わらず「いつも喜びなさい」と言います。 自由を奪われ、これから裁きを受け、処刑されるかもしれないパウロが「常に、いつも、どのような時にも喜びなさい」と言っています。 そして、「主において喜びなさい」と言います。 自分が「イエスが主である」と分かったから、自分がイエスに励まされたから「喜びなさい」と言っているのではありません。 キリストの命が自分の中に息づいている。 その命に自分が生かされて、赦されて、存在している。 そのことがパウロの喜びなのです。 たとえ、私たちがキリストを捨てて、飛び出して出て行ったとしても、そこもまたキリストの中にあるのです。 私たちは、そういう恵みの世界に生きています。 ですから、「主において、常に、いつも喜びなさい」とパウロは言うのです。 更に、パウロは「あなたがたは広い心がすべての人に知られるようになさい。 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。」と言います。 「広い心」とは、寛容や忍耐という意味合いです。 パウロは獄中にあっても、賛美の歌を歌って祈っていた。 囚人たちにそれを聞かせていたと言います。 ところが、真夜中に大地震が起きて、牢獄の戸がすべて開いてしまった。 囚人たちの鎖も外れてしまった。 いつでも、そこから逃げ出すことができるようになった。 しかし、皆、逃げないで、そこに留まっていたと言うのです。 てっきり囚人たちは逃げ出してしまったと慌てふためいた牢獄の看守に「自害してはならない。 私たちは皆ここにいる」と告げたのでした。 心を開いた看守に、パウロは「主イエスを信じなさい。 そうすれば、あなたも家族も救われます」と語ったのです。 パウロたち囚人にとって、そこは主とともにある恵みの場所でした。 「広い心」をすべての人に知られるようにとは、このようなことではないでしょうか。 また、「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」ともイエスは言われました。 ですから、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげなさい」と言います。 これが、神がなさることへの「信頼」です。 神のみ心を尋ねる「祈り」です。 それによって、「人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守る」とパウロは言います。



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