秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「十字架から見るクリスマス」 ヨハネによる福音書12章36b~43節

2015-12-06

 マタイによる福音書によりますと、「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と書かれています。 ヘロデも、その両親もユダヤ人ではありませんでした。 それが、なぜこのユダヤの地で、「ユダヤ人の王」となっているのか不思議に思います。 ここに至るまで、両親とともに、次第に力を蓄えていったヘロデの努力もあったのでしょう。 時々の権力者とも巧みに結びついて、自らの地位を固めていったのでしょう。 ですから、イエスが生まれる頃には、「ユダヤ人の王」という称号がヘロデに与えられていました。 そこに、クリスマスの出来事が起こったのでした。 占星術の学者たちが、東方からエルサレムにはるばるやってきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と言ったのです。 この学者たちは、重大なことを述べています。 「ユダヤ人の王」が、今、お生まれになった。 そして、その「ユダヤ人の王」を礼拝するためにやって来たと告げたのです。 ヘロデはユダヤ人でもないのに苦労してのしあがって、「ユダヤ人の王」という称号を手に入れた人物です。 自分の地位を脅かす者に対しては、異常なまでに警戒心を抱いたのです。 事実、ヘロデは、自分の妻も母も、また息子までも犠牲にしています。 学者たちの「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」という言葉を聞いたとたん、祭司長や律法学者たちを皆集めてその赤ちゃんがどこにいるのか問いただしたのです。 自分の地位を守ることに、執着心を燃やしたヘロデです。 企んで「ユダヤ人の王」と呼ばれる赤ちゃんを殺害することに失敗したヘロデは、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」と言うのです。 イエス様の誕生の陰に、一人の人物の醜い姿、そして多くの悲しみがもたらされたことが語られています。 ヘロデの姿は、「ユダヤ人の王」という自分を守るために、神のもとから遣わされた救い主を亡き者にしようとする姿です。 祭司長や律法学者たちの姿は、ベツレヘムから救い主がお生まれになると預言書にあることを知っていながら、その救い主を見つけ出して礼拝しようとしない姿です。 今日の聖書箇所には、多くのしるしが行われたにも拘わらずイエスを人々は信じなかったとあります。 人々が軽蔑し、見捨てるこの姿こそ、救い主の姿であると見て取ったイザヤの預言が引用されています。 ヨハネによる福音書は、すべてはこのイザヤの預言が成し遂げられるためであった。 イザヤが語ったこの「軽蔑され、見捨てられる姿」こそ、自分たちに告げ知らされた十字架の主イエス・キリストの姿であると信仰を告白しているのです。 すべての人の救い主が、私たちの醜い姿が溢れ出ているところに、また、悲惨な出来事に覆われているところに来てくださったと語っています。 イザヤは「彼は、苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。 屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、口を開かなかった」と表現しています。 その救い主が、すべてのものに先だってすでに父と共におられたという逆転の栄光の姿をイザヤは見たと語っているのです。 「神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだ」ヘロデ、祭司長や律法学者たちでした。 私たちは、人の誉れ、その背後にある人からの誹りや嘲りを恐れる者です。 しかし、この不信仰も、救い主イエス・キリストの十字架によって贖われていると、ヨハネによる福音書は語っています。 不信仰とは、このように用意された十字架の恵みを前にして、亡きものにしよう、見ようとしないことにあります。 イエスの誕生を知って、自分の思いに振り回されたヘロデ、ユダヤの議員たちの姿は、私たちの姿なのではないでしょうか。



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元