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「キリスト者と呼ばれる者の教会」 使徒言行録 11章19~30節

2015-10-11

 「ステファノの事件をきっかけに、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで、ギリシャ語を話すユダヤ人たちが散らされて行った」と聖書は言います。 フェニキアとは、今のレバノンあたりでしょうか。 キプロスとは地中海に浮かぶ島です。 アンティオキアとは、エルサレムから四百キロから五百キロ離れたところです。 そこまで、ステファノの事件がきっかけとなってエルサレムから追放された彼らが、散らされたその所々で神の言葉、福音を告げ知らせながら廻り歩いたと言います。 アンティオキアは、ローマ帝国のロ-マ、アレクサンドリアに次ぐ、第三番目の都市、人口百万人の国際都市であったと言われています。 そこには、キプロスや、アフリカのキレネからも人が入って来て、この地にある人々に「主イエスについて福音を告げ知らせた」とあります。 イエスの十字架の死後、数年後のことです。 最初の異邦人信徒の教会の始まりでした。 イエスのみ言葉が語る通り、全世界に向けての宣教の夜明けでした。 その群れが、アンティオキアの教会でした。 聖書は、「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返った者の数は多かった」、「主を礼拝し、断食して、よく祈る教会」、「聖霊の声を聞くことに熱心な教会」と証言しています。 
当時としては、この異邦人信徒だけの教会がとても珍しいものであったのでしょう。 そのアンティオキアの教会のうわさが、遠く離れたエルサレムの教会にも聞こえてきたのです。 そこで、エルサレムの教会はバルナバを遣わしました。 果たして、指導者もなく、異邦人の信徒だけで逞しく成長しているアンティオキアの教会が、いったいどのような状態であるのか不安を覚えながら足を踏み入れたバルナバでした。 しかし、バルナバはそこで驚いたのです。 彼は、その信徒の数に驚いたのではありません。 教会の信徒たちの姿の中に、「神の恵みが与えられた有様」を見て驚いて、喜んだのです。 そして、「固い決意をもって主から離れることのないように」と励まし、勧めたのでした。 この慰めの人、励ましの人、バルナバが遣わされたのは、神の配慮でした。 「聖霊と信仰に満ちた」バルナバによって、多くの人が主へと導かれたと証言されています。 このバルナバによって、サウロ、後のパウロがアンティオキアの教会に指導者として導かれたのもまた、神の配慮でした。 アンティオキアの教会の宣教ビジョンと、サウロ、後のパウロとの出会いでした。 神の業は、神の時を得て、神の備えた器によって成し遂げられていきます。
 このバルナバとサウロによって指導された多くの信徒たちが用いられて、このアンティオキアの教会が造り上げられていったのです。 その信徒たちの姿、有様を、聖書は「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」と言います。 今まで、「イエス派、キリスト党員」などと、あだ名されていた彼らがついに「キリスト者」、「キリストに属する者」と周囲からも認めざるを得ないほどの姿になったのです。 現在の私たちの教会の原点です。 偶然にでき上がった教会ではありませんでした。 ステファノの殉死から始まりました。 信徒による宣教によって逞しく成長しました。 その群れにバルナバ、サウロが指導者として招かれたのでした。 神の深い知恵とご計画によって立ち上げられたアンティオキアの教会でした。 この教会の信徒たちの「証し」の姿が、周囲にも、「キリスト者」の群れと映ったのです。 宣教は、神の深い知恵とご計画によって、心を開いて「神の言葉を聞こうとしておられる人」に、私たちの器が用いられるということではないでしょうか。 聖霊は、この働かれる器を求めておられるのです。



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