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「見えないもの」 コリントの信徒への手紙二4章16~18節

2015-07-12

 肝心なことは目に見えない、そこに重要なものが隠されている。 世間一般でもよく言われることです。 見えるものばかりを見ていると、見えないものを失っていく。 パウロは、そういう意味で「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」と言っているのでしょうか。 パウロは、「わたしたちは、目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいる」と言います。 喜ばしくない苦しみの中においても、神を信じて生きていける。 喜ばしくない見えるものに取り囲まれても、そこに神が働いてくださると信じることができる。 私たちの見える世界こそ、神ご自身の果たすべきみこころを成し遂げるために、黙って忍耐して働いておられる。 私たちが、その神のもとに立ち帰って神との正しい交わりを回復するなら、今まで見ることのできなかった神のみこころが見えるようになる、分かるようになる。 私たちの苦しみ、痛みこそ、この隠された神のみこころを知らせるものである。 そこに私たちの希望がある。 「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」とパウロは言うのです。 
 主の祈りの第三の祈りを思い起こしてみてください。 「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」 この祈りが、私たちに赦されています。 イエスもまた、十字架の直前に、ゲッセマネでこの祈りを悲しみ悶えささげました。 「わたしの願いどおりではなく、みこころのままに」でした。 そして、神のみこころによって与えられた十字架の道を、自ら進んで歩まれたのです。 神のみこころが現れ出るところには、信じ、委ね、従う者の姿があります。 そこには必ず、神と人との祈りと交わりが存在します。 神のみこころに委ね、信じて歩む者の祈りと、それに応える神との交わりがある。 そこに、神のみこころが働かれるということです。 そして、実に、その祈りこそ、神が霊をもって導いて、創り出しておられるということです。 「あなたがたの内に働いて、みこころのままに望ませ、行わせておられるのは神である」とみことばは語ります。 私たちが与えられている祈りは、「天になるごとく」です。 天において約束されているみこころが、この地においても果たされる。 この神のみこころは、神との交わりによって、私たちというこの小さな存在を通して果たされるのです。 信じ、委ね、従う私たちの姿に、神のみこころは天から降って来て果たされる。 この務めと希望が、私たちに託されていると言うのです。 パウロは、「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、落胆しません。」 「わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていくからです」と言っています。 神はひたすら、私たち一人一人に神のもとへ立ち帰ってくるようにと願っています。 失われた羊を探すように、見つけ出し、捜し出して、恵みと祝福を与えようとされています。 これが、天になるごとくなされる神のみこころです。 ですから、苦しみに耐えられる十分な助けが与えられます。 信じる力、祈り求める力、従う力も添えて与えられます。 落胆しないで神のみこころだけを求めて歩むのです。 そこには、「一時の艱難とは比べものにならないほど重みのある永遠の栄光」がある。 「過ぎ去っていくもの」ではなく、「永遠に存続するもの」が与えられる。 五感で感じたり、体験することのできない、朽ちることのない霊の体によみがえるという希望が与えられる。 パウロは、見えるものと見えないものという道徳を語っているのではありません。 自然の体が朽ちない霊の体によみがえり、みこころのままに約束された新しい天の国に招き入れられる。 その「よみがえり」を、パウロは「見えないもの」と言っているのです。



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