秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「復活を信じる」 マタイによる福音書 28章1~10節

2015-04-05

 愛するイエスを失って、途方に暮れていた彼女たちでした。 墓を塞いでいる石をどうやって取りのけるのかさえ、考えることもできなかった彼女たちでした。 しかし、彼女たちは何もできないから、何もしなかったのではありません。 イエスの遺体に油を塗るために、石が塞いでいる墓のところまで出かけて行ったのです。 そこで彼女たちが見たものは、墓に置かれていた石が脇へ転がされた。 墓を見張っていたはずの番兵たちが、恐ろしさのあまり震え上がって死人のようになっていた光景でした。 そこで彼女たちが聞いた声は、考えもしなかった出来事を告げる言葉でした。 「恐れることはない」、「今、伝えることを聞きなさい」、「しっかり、見なさい」、「そして、告げなさい」と言われたのでした。 見せられたものは、空っぽの墓でした。 告げられた言葉の中味は、「あの方は、ここにはおられない。 かねて言われた通り復活された」のだということでした。 
 彼女たちは何もしていません。 また、何をする力もありません。 彼女たちは、ただ出かけて行った。 しかし、神は、墓の石を取りのけてくださった。 思いがけない驚きと喜びを与えてくださった。 そして、自分を見捨てて逃げて行った弟子たちに、この復活の出来事が起きたことを知らせようとされたのでした。 「ここにはおられない」という「ここ」とは、どこでしょうか。 イエスの遺体が置かれた場所です。 死がすべてを覆ってしまっているお墓です。 何もかも終わってしまったかのように見せかける人の死、絶望が覆ってしまっているところです。 そんなところに、「あの方はおられない」と言われるのです。 十字架につけられたイエスは、このようなところにはおられない。 死者の中から復活されたのだと伝えられたのでした。 それだけではない、「あの方はあなたがたに先立ってガリラヤに行かれる。 そこでお目にかかれる。」とまで告げられたのです。 生き返ったという事実が伝えられただけではない、死んで再び生きておられるイエスに会うことができると告げられたのでした。 彼女たちは、死から解放されて立ち上がって、再び生きる世界にある者へと変えられていった。 復活の出来事を弟子たちに伝えるために、急いで墓の方から向きを変えて、弟子たちの方へと走り出したのです。 
 復活は、新しい出発です。 今まで死に向って今日という日を生きていた者が、復活された主に出会うために今日という日を走り出す者へと変えられていく出来事です。 私たちにとって、ガリラヤとはどこでしょうか。 弟子たちにとっては、なつかしい故郷であったかもしれません。 しかし、イエスは、弟子たちに「ガリラヤへ帰りなさい」ではなく、「ガリラヤへ行きなさい」と言われる。 死んで生き返って、新しい命と務めを用意された私たちには、復活の主に出会うために行くだけです。 「わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。 そこでわたしに会うことになる。」 これが復活の出来事です。 彼女たちはこのことを告げるために走り出した、その途中に復活の主イエスに出会ったのでした。 
 私たちは、この復活の事実を自分の力で説明することも、証明することもできません。 しかし、私たちが送る信仰生活によって、証しすることはできます。 私たちは、なぜこんなことが起こっているのかと首をかしげることばかりの世界にいます。 いつも、この犠牲となっているのは、抵抗のできない人々、弱い、力のない小さな人々です。 その象徴こそ、十字架につけられたイエスの姿です。 しかし、父なる神は、そのまま放ってはおかれなかったではありませんか。 虐待され、殺され、捨てられて行く姿を、「飼い主のいない羊」のように憐れまれる神の愛によって、そのまま捨て置かれなかった。 最後には、復活の出来事によって逆転を起こされたではありませんか。



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