牧師館より 2014. 4. 6
2014-04-06
# この間、幼稚園の年長組のクラスの部屋から子どもたちの大きな歓声が聞こえてきました。 いったい何が起きたのだろうかと、急いでそのお部屋に行って見て驚きました。 カプラという積木で立派な「教会」を建て上げていたのでした。 思わず感動して写真に納めておこうと思い、みんなでその「積木の教会」を囲んで写真を撮ったのです。 写真には、年長組、年中組、年少組さんが入り混じり合って写っていました。 子どもたちの心には、十字架や教会が刻まれていると確かに思いました。 急いで、この写真を「バプテスト誌」に投稿いたしました。 この子どもたちに、今、イースターになぜ「卵さがし」をするのか説明しようとしています。 私たちの目と耳と頭に隠されていた「卵」。 その小さな存在であるにもかかわらず、殻を破って大きくなる力をもっている「命」。 それを見つけ出す喜びを味わってほしい。 これが、子どもたちと「隠されている命」との出会いです。 私たちに「隠されている命」こそ、よみがえられたイエス・キリストです。 園児たちにこの生きたイエス・キリストに出会ってほしい。 その喜びを味わってほしい。 そして、一緒に賛美したいと願っています。 私たちは、この「畑に隠された宝」に出会わせていただいたのです。 「見つけ出した宝」は、人の死によっても左右されない高価なものだったのです。 (牧師 村上悦二)#
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