秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「備えられた朝の食事」   ヨハネによる福音書21章1~14節  

2014-04-27

 イエスが葬られたはずの空っぽの墓に行った婦人たちに、神の使いがこう言われました。 「あの方は、ここにはおられない。 復活なさったのだ。 まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。 あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。 そこでお目にかかれる。」 ガリラヤとは、イエスが歩まれたところ、弟子たちが生活し歩んだところです。 ガリラヤという日常の生活に戻った弟子たちに復活されたイエスは語りかけ、再び自ら入り込んで来てくださる。 その生き生きとした有様が描かれています。 イエスは復活した後、墓の前で嘆き悲しんでいた婦人たちに現れてくださいました。 次いで、そんなことがあるはずがないと疑う弟子たちに現れました。 更に、日常に埋もれ生きて行くことに精いっぱいの者のもとに現れてくださったのです。 それも、一晩中、漁をしたけれども何もとれなかった、何も収穫するものがないという乏しい生活の中にでした。 弟子たちの失敗している、困っているその日常にこそ、イエス・キリストの恵みは満ち溢れます。 
 イエスは、「舟の右側に網を打ちなさい」と言われました。 聖書では、右側とは、神の側ということです。 今まで、弟子たちは、舟の左側、人間の側でしか網を打っていなかった。 イエスは、「舟の右側に網を打ちなさい。 そうすればとれるはずだ」と言われた。 これは、生活の糧だけの話ではありません。 「あなたがたは、人間をとる漁師になる」と言われたイエスの約束のみことばのことです。 イエスが言われた通りに網を打ってみると、網を引き揚げることができないくらいに大漁になった。 どんなに不格好でも、どんなに失敗をしても、何の収穫がなくても、日常に埋没することなくイエスを仰いで、イエスに向っているかと励まします。 岸辺では、すでにイエスは「炭火を起こしていた」。 弟子たちが網を打ってとってきた魚とは別の魚が、パンとともに用意されていた。 イエスはそれでも、弟子たちに、「今とってきた魚をもって来なさい」と言われます。 魚は、自分たちが持ち寄って来て、分かち合うものであることをイエスは教えます。 もって来るものが「何もありません」と言う弟子たちに、イエスは網を打つ場所を教え、大量の魚を与え、その魚を持ち寄ってくるまで、岸辺でじっと待って朝の食事の準備をしてご覧になって立っていてくださるのです。 この弟子たちが味わった霊的な体験を、私たちもまた同じように味わうことが赦されています。 イエスは「もって来なさい」、「さあ来て、朝の食事をしなさい」と言われました。 舟の右側に網を打つのか。 左側に網を打つのか。 わずかな違いなのかもしれません。 しかし、弟子たちは、呼びかけるイエスのみことばを聞き分けることができました。 聞くだけでなく、言われた通りに網をおろしてみたことでした。 その僅かな違いが、永遠の命と滅びに分かれるのです。 み声を聞いて、みことばに従って、主に向って歩むところに必ずイエスは立っておられる。 今、教えられ、与えられた恵みをもって来なさいと言われる。 用意した朝の食事を一緒にしようと招くイエスに、私たちは必ず出会うことができるのです。 



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