秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「一年を振り返って」   マタイによる福音書 8章18~27節  

2013-12-29

イエスは、群衆に取り囲まれた地ではなく、向こう岸で働かれることをお選びになりました。 愛する弟子たちに、そこで務めがあることを教えるためでした。 イエスに従うということを教えるためでした。 イエスが「向こう岸に渡ろう」と言われた時に、自分に従ってくる2人の人物に言われました。 「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と意気揚々と語った律法学者です。 イエスは、この学者に「自分には枕する所がない」と言います。 自分には、何もない。 群衆に持ち上げられて輝かしく見えるだけの自分についてくるなら見当違いであると語られたのです。 もう一人は、「まず、父を葬りに行かせてください」と言った弟子です。 イエスは「先ず、わたしに従いなさい」と言います。 この世の事を第一にして、その残りで私に従ってくるのなら、見当違いであると言われたのです。 どちらも、捨てきれない自分を捨てることをイエスが迫るものでした。 私たちの心の中にある姿です。 そう語って、イエスは「向こう岸に渡ろう」と自ら舟に乗り込んだのです。 そのイエスに従った弟子たちが、激しい嵐に見舞われたのです。 湖のほとりに留まり、遠目にイエスを眺めていた群衆とは違うのです。 どのような所に連れて行かれるのか分からないが、イエスが先頭切って乗り込まれた舟に一緒に乗り込んだ弟子たちでした。 律法学者のように安易な心持ちで従ったのではありません。 この世の事柄に囚われて二の足を踏んだ弟子とは違うのです。 その弟子たちがイエスとともに乗り込んだ舟が、平穏無事ではなかったということです。 自分たちの経験や力ではどうすることもできなくなって、「主よ、助けてください。 おぼれそうです。」と願ったのです。 イエスは、願い祈る弟子たちに「なぜ、怖がるのか。 信仰の薄い者たちよ。」と声をかけられます。 嵐に出会ったのは、イエスを信じて自分を捨てて舟に乗り込んだからです。 根底から自分というものを揺り動かされた弟子たちでした。 その弟子たちに、イエスが語りかけた言葉です。 弟子たちを責めているのでしょうか。 イエスは、この弟子たちの拙い祈りに応えて、風や湖を静めたではありませんか。 イエスに従い、根底から揺り動かされた弟子たちが見たものは、「風と湖をお叱りになったイエスの姿です。 嵐が過ぎ去った後に、向こう岸で悪霊を支配し追い出すイエスの姿だったのです。 すべての権威を授かっておられ、ひとりの人を取り戻すイエスの姿を目の当たりにしたのです。 このイエスの出会うことのできる人は、平穏無事ではないけれど、イエスとともに舟に乗って向こう岸に向った人たちであったのです。 私たちのこの一年もまた、様々な出来事の中に恵みを備えて、一緒に向こう岸に行こうと招く主イエスとともにあったのです。 



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