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「わたしの服に触れたのはだれか」   マルコによる福音書5章25~34節  

2013-09-08

当時は、人間の血はその体内にある限り、命の源である。 しかし、いったん体の外に出て行ってしまうなら、汚れたものになると考えられていました。 12年間も出血が止まらない難病の女性がいます。 汚れた者として、その家族からも身の周りの社会からも遮断されます。 その治療のため、財産を使い果たしたとも書かれています。 何としても病気を癒してもらいたい。 そして、元の暮らしができるようになりたい。 何もかも望みを失っていた彼女は、イエスの噂を耳にします。 このお方に触れるなら病は癒していただけると、彼女はそう信じたのです。 
 しかし、公に出て行けば遮られてしまうだろう。 見つかれば死罪にされるかもしれない。 彼女は、「群衆の中に紛れて、後ろからイエスの服に触れようとします。」 遠くにイエスを眺めて立っているだけでは、イエスの服に触れることはできません。 危険を冒して、イエスのそば近くまで行って、群衆に紛れてイエスに触ることだけが彼女の願いであったのです。 思惑どおりに、だれ一人として気づかれないようにイエスの服に触れることができた彼女でした。 
 しかし、イエスは、ただちにご自分の内から神の力が出ていったことに気づかれました。 イエスは、神の力が働いたその人に出会うために立ち止まられたのです。 ですから、「わたしの服に触れたのはだれか」と尋ね叫ばれた。 この小さな彼女のひと触れが、神の力を動かせた事実をイエスは見逃さなかった。 弟子たちは、このイエスの叫びを嘲笑います。 大勢の群衆も弟子たちも確かに、イエスの姿を自分の目で見ていた。 自分の耳で、イエスの声を聞いていたでしょう。 しかし、彼女だけが、絶望の淵からなんとしても解放されたいと願い続けた。 僅かな信仰をもって、危険の中にもイエスに触れたいと自分を投げ出した者であったのです。 イエスはそのことを「あなたの信仰があなたを救った」と言われたのです。 
 イエスは、あなたの病気が癒されたとは言っていない。 あなたの思いつめた信仰が、「あなたを救った」と言われたのです。 彼女は、衣に触れたから救われたのではありません。 信じて歩み通したからイエスの体に触ることができた。 イエスの体に触れてイエスが気づいたから、イエスに出会うことができ救われたのです。 しかし、話は、ここで終わらないのです。 この孤独な一人の女性が、イエスの前に進み出るまで、イエスは捜し求めます。 群衆で溢れ返るそのような場所で、イエスは「わたしに触れたのはだれか」と叫び続けます。 だれにも気づかれないようにと隠れていた彼女が「震えながら、イエスの前に進み出てひれ伏した」のです。 そして、群衆が見ている前で、人を恐れずありのままを話すことができた。 イエスは、その震えながらありのままを話すことのできた彼女の信仰が「あなたを救った」と言われたのです。



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