「命の水の流れる川のほとり」 エゼキエル書47章1~12節
2013-01-01
故郷エルサレムから遥か遠いバビロンの地に囚われの身となって移住させられていたエゼキエルに、新しい神殿の幻が与えられました。 神殿の入口の門の敷居の下から水が湧き上がっている。 東の方に向かって流れ始めている。 神殿の敷居や祭壇や壁をつたいながら水が流れ出し始めている。 エゼキエルは、約半キロ程度進むごとに、川の深さが深まって行くことを知らされました。 また目を上げさせられ、川のほとりの光景も見させられました。 そこには木が生い茂っている。 実のなる木が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることがなく、月ごとに実をつけている。 その実は食用になり、葉は薬用となる。 エゼキエルは、この命の水が、新しい神殿から流れ出る新しい命の水であることを知りました。 その命の水の豊かさも、伝われば伝わるほどに満ち溢れてくることもまた知らされました。 そして、この命の水によって養われる、ほとりにいるイスラエルの民のよみがえった姿、実を豊かにつけた姿を見て取って、神に感謝したのです。 後にイエスは、井戸の水を汲みに来たサマリアの一人の女性に言いました。 「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。 わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」と言われました。 このイエスから約600年も前に遡る時に、エゼキエルはこのことを幻の中で知らされたのです。 私たちのつける実や葉っぱが、さらに食料となり、薬となって、私たちの周り、命の水の流れの川のほとりにまで祝福してくださる。 なすところすべて、神の祝福で満たされる。 このことを信じて新しい年を歩んで参りたい。
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