秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「イエスとの出会い」 ヨハネによる福音書5章1~18節

2012-10-14

 エルサレムにベトザタの池と呼ばれる池がありました。 そこに「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人」たちが大勢横たわっていた。 エルサレムの都の華やかさの陰に、ユダヤ社会の悲惨な光景があったと言います。 この池は、水が動いた時に病気が癒される「あわれみの池」と呼ばれていた。 大勢の人がこの池の周りに横たわり、水が動くその時をじっと待っていた。 イエスはそのような所で、38年も病気で苦しんでずっと横たわっていた一人の姿を見出した。 諦めとその場所にいることだけがわずかな救いであった人に、イエスは「良くなりたいか」と尋ねるのです。 聞きようによっては、むごい質問です。 イエスは、38年間もこれが当たり前である、手を差し伸べられることのなかったその人の心の奥底に、もう一度語りかけるのです。 今まで語りかけられたことのなかったこの病人は、一気に不平不満をさらけ出します。 自分がこのようになっている責任をすべて周囲に負わせ、癒されない理由を堅く抱きしめて、絶望のなかに安住します。 イエスは、その横たわり続ける病人に「起き上がりなさい。 床を担いで歩きなさい」と言うのです。 今まで縛りつけていたものから立ち上がりなさい、自分で歩きなさいと言われたのです。 この病人は、イエスの言葉に触れて初めて、その言葉に応えて行こうとする自分自身を取り戻します。 ことは、それだけで終わりません。 病を癒されたこの病人が床を担いで歩きだしたことが、「安息日に床を担ぐことは律法で許されていない」と、ユダヤの人々に詰問されます。 「あなたは良くなったのだ。 もう罪を犯してはいけない。」と言われたそのイエスを、この世を恐れて自らの身の安全を優先し、自分を癒したのはイエスだとユダヤの人々に知らせてしまったのです。 あなたは良くなったのだから、何があってももうイエスを拒んではならないと言われたそのイエスを、告発する立場に立ってしまったのです。 ユダの裏切りと同じです。 「あなたは良くなったのだ。 もう罪を犯してはいけない。」と言われたイエスのみことばが、一人の病人の姿とともに心に突き刺さります。 しかし、イエスの救いはベトザタの池の救いとは異なります。 告発されようが、身柄を渡されようが、すべての者を覆い尽くすイエスの救いです。 イエスによって呼びかけられた救いの業が、自分を押し潰してしまうようにも思えるような苛酷な重荷を背負いつつ歩む私たちのうえに、イエスを忘れてしまい拒むことを繰り返す私たちのうえに、現れるのです。



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元