「真の指導者」 ヘブライ人への手紙13章7~16節
「真の指導者」 ヘブライ人への手紙13章7~16節
この手紙の受取人は、「あざけられて、苦しめられて、見せ物にされ」ても、「苦しい大きな戦い」に「喜んで耐え忍んだ」人たちでした。 しかし、残念ながら今では、この手紙の表現を借りますと、「耳が鈍くなっている。 再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわなければならなくなっている」人たちでした。 しかし、この手紙の送り主は、「最初の確信を捨ててはいけません。 この確信には大きな報いがある。 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。 最初の確信を最後までしっかり持ち続けるなら、キリストに連なる者となる。」と、再び立ち上がるよう励まします。 「神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい」と言います。 この手紙の想定する「神の言葉を語った指導者たち」とは、迫害によって殉教した、そうでなくてもすでに亡くなられた福音の宣教者、教会の指導者たちのことを言っているのでしょう。 それが「彼らの生涯の最後の終りをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」という言葉なのです。 聖書は、殉教した信仰者を英雄視したり、その死を美化したりすることは決してありません。 聖書に記されている数少ない信仰者の最後の姿を、使徒言行録に表されたステファノの姿に見ます。
イスラエルの人々による理不尽なリンチとでもいうべき仕打ちに際して、自分自身の死を前にして遺したステファノの最後の姿は、祈りの姿でした。 「主よ、わたしの霊をお受けください」と、主に呼びかけて、主を見上げました。 「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と、同じ罪人として主の前にひざまづいて、とりなしの祈りをささげました。 ステファノは、自分自身と目の前にいる全ての人々を、この二つの祈りによって神に託しました。 この手紙の送り主は、この信仰者の最後の姿にある、祈り続ける信仰を見倣いなさいと言います。 しかし、わたしたち人間の地上での生涯には、最後があります。 しかし、イエス・キリストの生涯には終りがありません。 「きのうも今日も、また永遠に変わることのない」お方です。 神の言葉を語り、最後まで歩んだ信仰者の姿を通して、この変わらない真の霊的な指導者であるイエス・キリストの姿に見倣いなさいと語りかけているのです。 わたしたちは、この変わらないイエス・キリストだけを唯一の祭壇としたのです。 イエス・キリストが赴き、立ち続け、辱めを受けられたところに、わたしたちも
また立つのです。