秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

先週の聖書研究・祈祷会の恵みから

2013-06-27

聖書  マタイによる福音書3章1~12節

*バプテスマのヨハネが語ったことは、「悔い改めよ、天の国は近づいた」ということでした。 単なる意
識改革ではありません。 的外れの状態から立ち戻って根本的に方向転換して、神に立ち帰ることです。 そ
して「悔い改めにふさわしい実を結べ」と言います。 しかし、忘れてはならないことは、悔い改めは神
の業であることです。 良き実を与えられる事も、神の賜物です。 本当の悔い改めが与えられる事が、信
仰の実です。 なぜなら、そこには、神の赦しという恵みがあるからです。 本当の悔い改めには、この神
の赦しという喜びがあるのです。 ヨハネが天の国が近づいたと言っているのは、この神の赦しという恵み
が支配される国が近づいたと言っているのです。 

*私たちにできることは、イエスの道備えだけです。 この務めを知る者には、謙遜があります。 ヨハネ
は「わたしは喜びで満たされている。 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と言っています。 自
分を主とする限り、イエスというお方は訪れる事はありません。    

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから 

2013-06-20

聖書  マタイによる福音書2章16~23節

*イエスの誕生という福音の陰に、母親たちの嘆きや悲しみがあります。 ヘロデの罪によって我が子を殺
された母親たちがいます。 言い訳も赦されなかったイエスの母の苦しみがあります。 バビロニア帝国
によって、自分の息子の子孫が絶やされるという一人の母の嘆きがあります。 理不尽な現実の出来事を
身に受けて、背負って生きて行った母親たちの悲しみが、イエスの誕生によって喜びに変えられるのです。 

*父ヨセフのセリフがひとつもありません。 黙って、神の声に従ったヨセフの姿があります。 自分が証しを立てるのでもない。 自分が説明するのでもない。 生まれたばかりの幼子を抱えて、黙って神の声に聴き従ったヨセフです。 このヨセフの信仰によって起された世界の片隅のささやかな出来事が、神の国の実現へとつながっていったのです。 このようにして、ヨセフの信仰の姿を通して、神がヨセフの生き様を証し、神が説明してくださっているのです。  

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから 

2013-06-13

聖書  マルコによる福音書2章1~15節

*主イエスのご誕生は、様々な人々に出来事を起こしています。 「ユダヤのベツレヘムで、ユダヤの救
い主がお生まれになる」と聖書に預言されているのに、確かめようともしない祭司長や律法学者たち。 自
分の権威が失われるかもしれないと不安に思うヘロデ王。 自分たちの身の周りに波風が立つことを恐れ
るユダヤの人々。 考えてもみなかった生涯の不安を覚えるマリアとヨセフ。 星に導かれて、ユダヤの
地にまで訪ねてきた、異邦の地の学者たち。 それぞれにクリスマスの出来事が起こります。 

*喜びで満たされ、新しい出発をした異邦人の学者たち。 不安の中にも、主イエスの声を拠り所として生きて行く決断をしたヨセフとマリア。 この、主イエスに従って新しい道を歩み始めた人々と、いつまでも自分を守ることに縛られたヘロデ王とユダヤの人々が、この最初のクリスマスに浮き彫りになっています。 

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから 

2013-06-06

聖書  マルコによる福音書1章1~25節

*マルコによる福音書の書き始めは、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」となってい
ます。 その中心は、間違いなくイエスです。 イエスの誕生を、ひとつの出来事としてではなく、大き
な歴史の流れとして見ようと意図しています。 イエス・キリストによって、旧約聖書と新約聖書が一つ
の線として繋がります。 新約聖書が、旧約聖書の完成として記されているのです。  

*この系図には、4人の女性が組み入れられています。 タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻(バト・シェバ)です。 それぞれが、異邦人であったり、不倫の罪を犯したり、遊女であったりします。 当時の社会では、女性がこのように組み入れられること自体が異例です。 また、大失敗をしたアブラハムやダビデも、まったく無名の者も刻まれ、包み隠さず系図に含めています。 系図は、すべての取るに足りない者、滅ぶべき者を受けて、イエスがお生まれになったと語ります。 すべての失敗や恥や弱さを引き受けて、イエスがお生まれになった。 そのためにイエスが遣わされたと系図が語っているのです。 

*「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名は、インマヌエルと呼ばれる。」と預言されています。 「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたとともにいる。」 マタイによる福音書は、この信仰で貫かれています。 

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから   

2013-05-30

聖書  使徒言行録28章1~31節

*パウロの目指す地、ローマへの船旅は、命がけのものとなりました。 そのような難船状態の舟の中でも、
パウロは神のみことばが与えられます。 「パウロ、恐れるな。 あなたはローマに行かなければならな
い。 一緒に航海しているすべての者をあなたに託した。」というみ声に立ちました。 このパウロの信
仰のゆえに、周りのすべての人が救いの恵みに与かるのです。 

*漂流した舟が辿りついたマルタ島と、時の世界の中心地ローマでのパウロの宣教の姿が描かれています。 迷信や盲信のなかにあったマルタ島では、福音を語るのではなく一人一人に祈り、手を置いて癒すというしるしをパウロは行いました。 ローマにおいては、囚人でありながらも「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝える機会が与えられました。 今までのパウロの宣教は、妨害と誤解の連続でありました。 辿りついたローマでは、囚人ではありましたが自由に宣教をすることができたのです。 使徒言行録は、「福音」がエルサレムからローマまで伝えられた道のりが記されています。 使徒たちの働きによって、どのように教会が生まれ、形づくられ、成長させていただいたのか。 イエスの約束である「あなたがたのうえに聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。 地の果てに至るまで、私の証人となる。」というみことばが、聖霊の力によって、そして復活の主の証人たちの証言を通して実現されたのです。

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから 

2013-05-23

 聖書  使徒言行録26章1~32節

*パウロにとっては、ユダヤの人々の前でも、ローマ総督の前でも、王の前でも、すべての弁明の機会を、
福音の宣教の務めを果たす場であったのです。 パウロのもとに導かれたアナニアに、主が幻の中でパウ
ロのことを語っています。 「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝える
ために、わたしが選んだ器である」と言います。 神の選びの働きが、常に先行しているのです。 

*主は、パウロの回心には目的があると言います。 パウロを起き上がらせ、自分の足で立たせ、奉仕者・証人として遣わすことである。 それは、「彼らの目を開いて、闇から光にする為である」「サタンの支配から神に立ち帰らせ、自由を与える為である」「わたしへの信仰によって、罪の赦しを得る為である」「恵みの分け前に与かる為である」と言います。 パウロは一途に、「天から示されたことに背かず」「メシアが苦しみを受け、死者の中から最初に復活されて光を語り続けるようになると述べたのです。」 

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから 

2013-05-16

聖書  使徒言行録24章1~27節

*パウロは、「疫病のような人間」である、「ナザレ人の分派」である、「神殿を汚す」者であると訴えられ
ました。 ローマにとってもユダヤにとっても、疫病のような危険な人物である。 異端の一派のリーダ
ーであると、感情むき出しで根拠や証拠に乏しく訴えられたのです。 

*パウロは、礼拝のために来たのであり、論争も騒動も引き起こしてはいない。 訴えた人々と同じように、むしろそれ以上に律法や預言書をことごとく信じている。 神殿を汚すどころか、救援金を渡すため、供え物をささげるために戻ってきたと、事実を通して弁明を喜んでしたのです。

*パウロは、冷静に神の言葉だけを語ります。 剣や暴力によって語ったのではありません。 神の言葉は、これほどまでに影響力をもつのです。 真理に立つ者は、冷静さと自由があります。 恐れからまったく解放されます。 パウロは、この出来事による2年間の足どめもまた、神のわざと受け止めたのです。

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから 

2013-05-09

聖書  使徒言行録22章1~29節

*パウロは、「自身の生い立ち」と「回心の出来事」を通して、神の恵みを語ります。 「ダマスコへ行け。
しなければならないことは、すべてそこで知らされる」という主イエスの声を聞いたことを、ユダヤの人々
に伝えます。 聞いているだけで信じて動かなければ、何も知ることはできないのです。 

*パウロは、自分の正しさを追い求めたことによって、神の光の輝きによって自分の熱心さを打ち壊されました。 そこに、アナニアという人物に託された「神が、あなたをお選びになった」というみことばによって、パウロは立ち上がります。 主イエスの生きた証人となったのです。 

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから  

2013-05-02

聖書  使徒言行録20章17~38節

*パウロは、「謙遜の限りを尽くして」、「涙をもって」、「身にふりかかった試練に遭いながら」、主にお仕えしてきたと証ししています。 パウロの宣教は、「公衆の面前でも、方々の家でも、あなたがた一人一人にも、伝え、教え、証しする」ものでした。 そのパウロが、聖霊に促されてエルサレムに向かうと言います。 かつて、パウロは、この聖霊によって道を閉ざされたことがありました。 そのエルサレムには投獄と苦難が待ち受けていることを、この聖霊によって告げられます。 聖霊は、苦難を通しても、力を与え、喜びを与えることを示しています。 

*パウロは集めた教会の指導者たちに、「あなたがた自身に、群れ全体に気を配ること」を勧めます。 教会の内にも、また外から入り込んでくる危険があると言います。 しかし、神がみ子の血によってご自分のものとなさった神の教会の監督者に、聖霊があなたがたをこの群れの任命したと彼らに励ますのです。

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先週の聖書研究・祈祷会の恵みから

2013-04-25

聖書 使徒言行録17章16~34節

*アテネでの宣教は、パウロの当初の計画にはありませんでした。 逃げ延びて辿りついた所です。 しかし、パウロはそのような所でも、じっとしていません。 アテネの町があまりにも偶像に満ちあふれていたことに、憤りを覚えたからです。 

*パウロは、異教の神が祭られていた所、世界に誇る知識人が集う所の真ん中に立って、説教を始めたのです。 パウロは、世界とその中の万物を造られた神を語ります。 このすべてを造り出した神が、人間のあらゆる営みの中に生きておられる。 神を探し求めさえすれば、いつでも神を見出すことができると語ります。 このことを知ろうとせずにきた無知を、神は見過ごされてきたのである。 しかし、今や、イエス・キリストというたった一人の方によって、真の神が明らかにされた。 もはや知らないとは言えないと言うのです。 

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