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「準備されている救い」 ペトロの手紙一 1章3~9節

2015-04-12

 ローマ帝国の支配のもと、キリスト者は迫害を避けるために各地に散らされていました。 慣れない異邦の地で、息を潜ませ、肩身の狭い思いでいた寄留者でした。 「各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」、信仰のゆえに様々な試練の中を通されているキリスト者たちに、ペトロは牧会者として励ましの手紙を送ります。 キリスト者になったからこそ試練に出会っている彼らの目を、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神」への賛美に向き直すようにと語りかけます。 私たちは、「神の豊かな憐れみにより、新たに生まれさせてくださった。」 「死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望が与えられた。」とペトロは訴えます。 私たちは復活の日に、「あの方は、死が支配しているような墓にはおられない。 かねて言われたとおり復活された。」と驚きを告げられました。 「あの方はあなたがたに先立ってガリラヤに行かれる。 そこでお目にかかれる。」と希望を与えられました。 「ガリラヤに行きなさい」、弟子たちに復活の出来事を告げるために「行きなさい」と新しい務めを与えられました。 イエスを裏切り、逃げて、目を閉じて、耳をふさいで、閉じこもって絶望の中にいたあのペトロが、この手紙において「新しく生まれさせてくださった」、「生き生きとした望みへと再び生まれさせてくださった」と、復活の恵みの事実を語っているのです。 恥ずかしい試練を経たペトロが、いつまでも醜い自分の罪の中に置かれ続けていたペトロが、復活されたイエスの姿に触れて、「わたしを愛するか」と尋ねられ、「わたしの羊を飼いなさい」と新しい務めに生きるようにと解放されたのでした。 そのペトロが、同じ苦しみの中にあるキリスト者たちを励ます務めを果たそうとしているのです。 「朽ちず、汚れず、しぼまない天に蓄えられている、やがて、終わりの日に現れるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られている」と、ペトロは散らされた寄留者たちに呼びかけます。 
 ペトロは、「それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいる。 言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれている。」と言います。 しかし一方で、「しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれない。」とも言います。 神のみこころに沿った試練は、必要な経験である。 無駄になることはない。 あなたがたの信仰が吟味される。 火で精錬されながら、終わりの日にはキリストの誉れが現れると言います。 聖書は、苦しみや試練は避けるべきもの、敬遠すべきものとは語りません。 しばらくの間、喜びとともに試練はある。 その時です。 「しっかりと立つことができるように、神の武具を身につけなさい。」 「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。」、そして、「なお、その上に、信仰を盾として取りなさい」と言います。 信仰は、神への信頼、神に頼るということです。 この信頼が揺らいだ時に、神のもとを離れます。 罪は、神に望みを抱くことができなくなった時から起きます。 ですから、「信仰を盾として、なお、その上に取りなさい」と言うのです。 ペトロは、「準備されている救いを受けるために、神の霊の力により、この盾とした信仰によって守られている」と言います。 救いは、すでに準備されている、神のみもとに確保されている、守られている。 それをしっかりと受け取るまで、あなたがたもまた守られている。 「あなたがたが喜びに満ちあふれているのは、信仰の実りとして魂の救いを受けているからだ」とペトロは言っています。 ですから、主イエス・キリストの父である神を賛美するように、その希望に生きるようにと願っているのです。



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