牧師館より 2013.10.6
2013-10-06
#先週、第五の主の日の礼拝において、4名の兄弟姉妹が「証し」に立ってくださいました。
わずかな時間でありましたが、それぞれに与えられている祈りの課題から、言葉に出して語っていただき
もっとお伺いしたいと思いました。 礼拝が、それぞれの恵みを持ち寄って互いにその恵みを分かち合う、 ふたたび、恵みを与えられてそれぞれの場所に遣わされて行くというものであれば、礼拝そのものであり ました。 もっと、嬉しかったことは、その「証し」を伺って、皆さんが「アーメン」、その通りですと連 呼されたことでした。 私たちが、ともに主に礼拝をささげていると実感することができた、無上の喜びの 時となりました。
先日、泉小学校の子どもたちが、持久走の練習を学校のまわりでしている場面に出くわしました。 そばに 近寄ると「はあ はあ」という息づかいが聞こえてきます。 ゴールに向けて、それぞれのスピードで一心 を傾けている姿を見て感動します。 私たちが、このように隣人に息づかいが聞こえてくるぐらいに近寄っ て、声を聞いて、その歩む姿が見えているだろうかと思わされました。 触れることのできるキリストのか らだ、息づかいが聞こえてくるほどのキリストのからだに、私たちの群れもまたつくり上げていただきたい と願います。 (牧師 村上悦二)#
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