先週の聖書研究・祈祷会の恵みから
2013-08-01
聖書 マタイによる福音書5章1~12節 その2
*イエスは、貧しいから、悲しいから、苦しんでいるから幸いであるとは言っていません。 その只中にあ
る人々を神が祝福し、神が招いて、神の国を約束してくださっているから、それに気づいているあなたがた は幸いであるとイエスは言います。
*「慰められる悲しみの人々」とは、ただの悲しみに暮れている人では なさそうです。 この山上の教え は、救いを受けて幸いであると言われている人々に語られた祝福です。 信仰生活を続けている人々の悲し みに語られた福音です。 自分の弱さ、自分の罪に悩み苦しむ悲しみです。 神を求めない、自分の罪に気 づかない、神との正しい関係にない人々は本当の悲しみがありません。
*この悲しみの中でこそ知ることのできる喜びが「慰め」です。 私たちは「慰められる」のです。 神によ って「慰められる」のです。 深い悲しみを乗り越えた本当の喜びです。 神との関係が断たれたと悲しん だから、正しい神との関係を回復されたから慰められたのです。 悲しみは信仰者にとって大切です。
*私たちは、イエスの柔和さに支えられています。 聖書の言う「柔和な人」とは、イエスのように神のみ旨 に従って生きる人のことです。 イエスの柔和さには力があります。 私たちに共に繋がって、共に歩ん で、共に重荷を担ってくださるのです。 この柔和さに気づくと、自分の主張や怒りもおさまります。 イ エスの柔和さには、神の意志が働いている、隣人の意志にも働いておられることが分かるからです。
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