「父のもとに至る道」 ヨハネによる福音書14章4~14節
この時代のユダヤの生活の中心に「会堂」という場所がありました。 ところが、このユダヤの「会堂」の中に「イエスが主である」と告白する者たちが増えてきた。 そこで、教えが混乱しないように、イエスに従う者たちをこの「会堂」から追放する命令がくだったのです。 まさに、このユダヤの社会から追放される迫害のなかで、弟子たちの体にしっかりと刻みつけられたイエスのみことばが、今朝の聖書箇所です。 この困難な状況の中でも、「イエスを通して、唯一の父なる神を仰いで歩んで行く」道を選び取る決断をした弟子たちの姿を思い起こします。 イエスが「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言うと、トマスが「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。」と問います。 イエスが、「わたしこそがその道である。 わたしを知るなら、わたしの父をも知ることになる。 わたしの道を歩んでいるなら、あなたがたは父をすでに見ている。」とまで言います。 すると今度は、フィリポが、「主よ、父なる神をお示しください。」とイエスに問いかけます。 このトマスとフィリポの問いは軽はずみな質問でしょうか。 「会堂」から、この弟子たちは締め出されようとした。 言葉にならないような惨めな仕打ちを、イエスの弟子たちは受けていた。 まともな生活すら送れないような所に追い込まれた。 「なぜこのような苦しみに会うのか知りたい。」と願う切実な弟子たちの思いを、代表する叫びです。 しかし、イエスは、「わたしが道である。」 「父のもとに至る唯一の道である。」 この道を歩んでいなければ父なる神のもとに辿りつくことができない。 私を知っているなら、父を知ることになる。 私を見ているなら、父を見ていることである。 イエスが語られていることは、ただ一つです。 「信じる」ことだけです。 「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか」 そして、「わたしをも信じなさい」。 そのために「わたしが言う言葉を信じなさい」、「もし、それを信じないならば、わたしが行う業そのものによって信じなさい」と、動揺する弟子たちを「信じること」によって励ましておられるのです。 イエスは愛する弟子たちにこのことを語り、これから向う十字架への道を、父なる神が定められた道であると選び取ったのです。 この道が、父なる神から遣わされて地上の生涯を終えて再び父のもとに戻って行く道であると確信したのです。 このイエスの「道」が、私たちのために開かれた父なる神に通ずる「道」となったのです。 この「道」をイエスは、「わたしを知る、わたしを信じる」ことによって、「父を知る、父を信じる」道であると言います。 だから、「この道にとどまり続けなさい」「わたしの言う言葉を信じなさい」と言われるのです。 イエスご自身がともに歩んでくださる、父のもとでとりなしの祈りをささげてくださっている道です。 この備えられた「道」を見失わないように、私たちは、週の初めに、み前に召し集められ礼拝をささげているのです。