秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「復活の主に目が開かれる」   ルカによる福音書 24章13~35節  

2013-03-31

 冒頭に書かれている「ちょうどその日」とは、仲間の女性たちから「墓が空になっている」と伝えられた日、イエスが復活された日曜日、まさに2000年前の今朝のイースターの日の出来事でした。 二人のイエスの弟子は、先生と仰いできたイエスが殺されて、悲しみに暮れている。 失望の中にある。 動揺している。 イエスは、そのような人に近づいて、一緒に歩いて、語りかけてくださるのです。 イエスとともに生活をしていた二人の弟子は、不思議なことにイエスが分からない。 イエスご自身が、もう一度、説き明かしてくださったのに分からない。 彼らはむしろ、その本人であるイエスに向かってつぶやくのです。 「イエスは、行いにも言葉にも力のあるお方であった。 このイエスに望みをかけていた。 このお方こそと期待してついて行った。 それなのに、十字架につけられて殺されてしまった。 今や、遺体さえどこに行ったのか分からなくなってしまった。」と、過去に嘆くのです。 彼らは、過去に囚われて、過去に生きているのです。 今、歩み寄って来てくださっているイエスに、目を遮られて気がつかないのです。 残念ながら、目が開かれていない時には、そのイエスの姿が見えないのです。 そのような「物分かりが悪く、心が鈍い」二人の弟子に、イエスは彼らが目指す村にまでついて行ってくださったのです。 目指す村に着いた時に、彼らに変化が起こります。 二人の弟子に変化が起きたのは、そのイエスを強引に引き止めた時です。 イエスと一緒に泊った家の食事の席についた時です。 イエスを、招き入れて、その食事の主人にイエスを置いた時です。 ユダヤの食事では、家の主人がパンを手に取って、神に感謝の祈りをささげ、パンを裂いて一人一人に手渡します。 イエスが、食事の主人となってパンを彼らにお与えになったその時です。 二人の目が開かれたのです。 イエスを主人とする食卓を囲む交わりの中で初めて、彼らはイエスを見出したのです。 その彼らは、イエスが「道で話しておられる時、また聖書を説明してくださった時、心が燃えたではないか」と思い起こします。 過去に囚われ、過去に生きていた時のイエスの出会いのことが、あざやかに新しくよみがえっているのです。 イエスを主人としてともに歩んで行く、新しい生き方へと踏み出して行った時です。 彼らは「時を移さず出発して」もとのエルサレムに戻って、喜んで起こった出来事を語ったのです。 私たち教会の過去の歩みもまた、無駄な事は何ひとつありません。 イエスが近づいてきて、祈りの種をいっぱい蒔いて、祈りの芽を育ててくださったからです。 私たちの教会が、新しい歩みを始める為です。 よみがえりの新しい命をいただいて、「時を移さず出発して」喜びを、この地で伝える為です。 私たちの目指す村ではなく、先を急いでおられたイエスの後に従って行くのです。



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