秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「ユダヤ人の王」   ヨハネによる福音書 18章38b~19章16a節  

2013-03-24

 地方総督は、ローマ帝国から派遣されているその地方の最高の支配者でした。 なるべく争いや問題が起きないようにすることが仕事でした。 祭司長たちに操られたユダヤ人たちに訴えられたイエスに、地方総督ピラトはどうしても死刑にするまでの罪を認めることができません。 ローマの兵士たちは、茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、ユダヤ人の王、万歳と言って、平手で打つのです。 総督ピラトは、痛めつけられ、嘲り笑われて、辱めを受けているこのような力のない者が、ユダヤの国を救い出すようなローマに対する罪を犯す筈がない、その哀れな姿を人々の前にさらそうとしたのです。 ローマ兵がかぶせた茨の冠と紫の服をつけたままのイエスをユダヤの人々にさらして、あなたがたが訴えた者は、「見よ、このような男だ」と見せしめたのです。 「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。 軽蔑され、人々に見捨てられる」と預言された通りです。 ピラトは、「お前を釈放する権限も、十字架につける権限もわたしにあることを知らないのか」と、イエスに迫ります。 しかし、イエスは「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ」と応じます。 イエスは、ピラトに「自分が持っていると思っている権限は、人間によって与えられたものである。 消えてなくなるものである。 私があなたに従っているのは、あなたの権威ではない。 神のみこころに従っている。 神のご計画が実現するために、あなたが持っていると思っている権限を用いようとしているだけである。」と語っているのです。 イエスは、ユダヤの人々の怒りが自分の方に向かってくることを恐れたピラトのように、「自分を守る者たち」、「自分を王とする者たち」によって裁かれました。 ユダヤの人々も、祭司長たちも、イエスを亡き者とするためにローマの権威にすがりました。 イエスは、自分たちを守るために「皇帝を王とする者たち」、「皇帝を友とする者たち」によって裁かれました。 私たちは、この平手で打たれ、鞭うたれ、嘲られたイエスの姿に、それでも私たちを「赦している神の愛」を思い起こしたい。 それでもなお、私たちに期待し「招いておられる神のご真実」を思い起こしたいのです。 神は、この哀れな「ユダヤ人の王」を、すべての人類の救い主、真の王とされたのです。 「この男を見ろ」と蔑んだピラトの言葉を、「この救い主を見よ」という信仰の言葉に、復活の事実によって変えてくださったのです。 イエスは、ピラトに引きずり出されたのではありません。 進んで自らを差し出して、私たちの前に「茨の冠をかぶり、紫の服をつけて」現れてくださったのです。 父なる神のみ前に立って、私たちを救い出すためです。 この「ユダヤ人の王」が受けた懲らしめと傷によって、私たちに平和と癒しが与えられたのです。 私たちは、この救い主とともに歩んでいるのです。



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