先週の聖書研究・祈祷会の恵みから~
2013-02-14
聖書 使徒言行録7章54節~8章3節
*ステファノは、激しく憎しみをあらわにしてくる人々におかまいなく、「天を見つめていた」のです。 すべて八方ふさがりのような時でも、天は開いているのです。 私たちは、天を見上げて仰ぐことが赦されているのです。 目の前のものから、まったく自由なのです。
*ステファノは死の恐れが迫っている時でも、「あの復活したナザレの人イエスが、神の右に立っておられるのが見える」と、自分自身の証言の言葉を失いませんでした。 そして、主に呼びかけて祈ります。 「主よ、わたしの霊をお受けください」と、イエスの名を呼んで委ねる祈りをささげます。 そして、主の前にひざまずいて祈ります。 「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と、石を投げつけている人のために祈ります。 主の前では、すべての人が罪人です。 ステファノの最後の姿は、イエスの十字架の前にひざまずいて、すべてを受け入れてイエスに委ねた祈りの姿でした。
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