「シメオンとアンナの賛美と祈り」 ルカによる福音書2章22~38節
イエスの両親ヨセフとマリアは、忠実に律法の定めを守りイエスを神殿に連れて行きます。 しかし、ルカは、その幼子イエスが神のために献げられる聖なる者とされるために、これから担っていかなければならない務めを示されるために、神殿に導かれて来たと言います そのために、神殿に二人の神の証人、預言者シメオンとアンナが用意されていました。 信仰があつく聖霊がとどまっていたシメオンは、いつものように救い主を見るまでは死ぬわけにはいかないと、神殿の境内に入って行きます。 そして、雄羊一匹も用意できない貧しいイエスの両親に出会います。 この時、シメオンは真の祭司の役目を担うことになります。 シメオンの方から幼子イエスを抱き抱えて「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。 私はこの目であなたの救いを見たからです。」と言います。 シメオンは神の前に、救い主に出会うことのできた喜びと神への賛美を言い表しました。 シメオンは、自分の死に備え、ひたすら自らの生きる務めを救い主に出会うことに置き続けた人です。 そのシメオンが務めを果たすことができた。 その与えられた生涯を、最後に感謝した言葉が先の言葉です。 死を臨む時に、何によっても奪われることのない希望と平安を知ることができた喜びがここにあります。 シメオンはそれだけでなく、母マリアに「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりする。」「反対を受けるしるしとなる。」「多くの人の心の中にある思いがあらわにされる」ようになると預言します。 この幼子イエスの苦難の生涯を伝え、この神の救いのご計画の最後まで母が関わるようにと、シメオンの生涯の最後の言葉として伝えたのです。 年老いた女預言者アンナも同じです。 自ら幼子イエスに近づき、神を賛美し、同じように神の救いを待ち望んでいる人々に、その幼子のことを語り伝えたとあります。 最後を迎えたシメオンの言葉と、年老いても忠実に仕えていたアンナの姿に、私たちは「待つこと」を知らされます。