~先週の聖書研究・祈祷会からの恵み~
2012-12-06
聖書 使徒言行録3章11~26節
*生まれながら足が不自由であった男が癒された奇跡は、自分たちの力ではない。 「イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」とペトロは証言します。
*ペトロは、イエスを「神の僕」、「聖なる正しい方」、「命の導き手である方」と表現して、死者の中からよみがえられたことこそ救い主の名の証しである。 自分たちがその生きた証人であると繰り返します。
*ペトロは、同胞のユダヤ人たちに向かって、「兄弟たち」と親しみを込めて呼びかけます。 「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と重ねて言います。 その理由は、あなたがたも「無知のためであった」からだと言います。
*ペトロは、知らない、悟っていない、無知のゆえにしてしまったことを悔い改めるなら、罪をぬぐい去っていただくことができると語っているのです。 十字架のイエスは、私たちの知らない、悟っていない罪を私たちに責めるのではなく、黙って背負ってくださっているのだとペトロは悔い改めを迫っているのです。 慰めの時、回復の時、万物が新しくなる時、再びイエスが来られるその時までの今が、神のもとに立ち帰る救いの時だと語っているのです。
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