「戻って来て迎える主」 ヨハネによる福音書14章1~3節
イエスは木曜日の夜、弟子たちとの最後の晩餐をともにしました。 イエスはその時に、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言います。 弟子たちは、まさかこの中から裏切り者が出るとは思ってもいないので動揺します。 「わたしの行くところに、あなたは今ついて来ることはできない」というイエスの言葉を聞いたペトロは、「あなたのためなら命を捨てます」とまで勇敢に答えます。 しかし、イエスは「あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と痛烈に予告します。 「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言うイエスに、トマスは「どうしたら、その道を知ることができるのでしょうか」と、確かな答えをイエスに要求します。 また、「あなたがたはわたしを知っているなら、わたしの父を知ることになる」と言われたイエスに、フィリポは「わたしたちに御父をお示しください。 そうすれば満足できます」と、この目で神を見ないと信じられないとフィリポは言います。 ユダもペトロもトマスもフィリポも皆、同じ姿です。 イエスとともに3年間寝泊りを共にしてきたにもかかわらず、イエスの言葉を信じることができない。 次第に弟子たちは、危険が差し迫っている現実を感じるようになります。 全てをささげてイエスに従って来た、戻って行く所のない弟子たちの不安と戸惑いは、頂点に達します。 この不安に揺れ動く弟子たちがこれから絶望の体験をしていくことになる。 その姿をイエスは思い浮かべながら、愛する弟子たちに語りかけた約束の言葉がこの聖書の箇所です。 イエスは「心を騒がせるな。 神を信じなさい。 そして、わたしをも信じなさい。」と言われました。 ただ、信じることを命令しているのです。 これから、わたしの身にどのような事が起ころうとも、「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」ことを信じなさい。 父なる神とわたしはひとつになっていることを信じなさい。 弟子たちとの最後の別れに、不安におののく弟子たちを励まし力づけるために、イエスが訴えたみことばであります。 その際に、イエスは、「わたしの父の家には住む所がたくさんある。 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。 わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」と約束されたのです。 地上を歩まれたイエスが永遠に父なる神のもとにあるように、弟子たちもまた神と共に住む所を用意する。 用意ができたら、あなたがたを迎えるために、必ず戻って来て、一緒にいるようにしてくださると約束してくださったのです。 そのためにイエスは、父は別の弁護者(聖霊)を遣わし、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださると、父なる神にお願いをしてくださったのです。 この弁護者(聖霊)の到来こそが、「戻って来て迎える主イエス」であったのです。 わたしたちは、この約束に立って信じる者とさせていただきたい。