秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「パウロを通して働く神のわざ」 使徒言行録21章1~14節

2012-10-21

 まだ始まって間もないキリスト教でしたが、すでに各地に多くの家の教会が誕生していました。 十二人の使徒たちによって選ばれた七人のエルサレム教会の執事のうちの一人であったステファノが、エルサレムで殉教の死を遂げた後、多くの弟子たちがユダヤとサマリアの地方に散らされました。 その彼らが、異邦の地で伝道をし、群れをつくり、教会を建て上げていたのです。 パウロたちがそこを訪ね泊っていったのは、まさに共に励まし合うためです。 そのようなうるわしい光景が描かれています。 5節に「彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。 そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。」とあります。 見知らぬ土地で、弟子たちどうしに交わされたものは、「祈り」と家族を挙げての「交わり」でありました。 ともに主の名によって「祈る」ことが、弟子たちどうしのイエスにある「交わり」の中心でありました。 かつてのユダヤ人キリスト者迫害の加害者であったパウロと、被害者であったフィリポが、イエス・キリストに結ばれてひざを交えて語り合う、そのような光景も目に浮かびます。 しかし、パウロのエルサレムへの旅は、苦難のともなうものでした。 エルサレムにおいては、パウロたちが異邦人の地で、律法やエルサレムの地をないがしろにしているという噂が流されていたのです。 パウロたちが立ち寄ったところどころで、エルサレムに行かないようにと弟子たちに進言されます。 その進言を聞いたパウロの一行からも、「エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」とあります。 3度の忠告にも関わらず、パウロの決意は変わりません。 「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」と言い、重ねて決意を述べます。 パウロの決意は、自分自身のうえに「神のみこころが行われる」、今生きている自分の存在が「神のみこころに与かっている」、そのことの確信があったからです。 ゲッセマネで、「わたしの願いどおりではなく、みこころのままに」と祈られたイエスの「祈り」が、パウロのうちにあったからです。 イエスのみ名によって祈るということは、自分自身のうえに神のみこころが行われる、神のみこころに自分自身を委ねていく、そのことを決意していくことなのではないかと思わされます。 このパウロの決意を聞いた弟子たちは、「主のみこころが行われますようにと言って、口をつぐんだ」と書かれています。



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