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「更に与えられる豊かなもの」 マタイによる福音書25章14~30節

2026-03-15

 第25章には、三つのたとえが語られています。 「十人のおとめ」、「タラントン」、「終わりの日」のたとえです。 主イエスが再び来られる「終わりの日」は、思いがけなく訪れる。 その時こそ、「清算の時」であると三つのたとえは語るのです。 皆が眠り込んだその真夜中に、10人のおとめたちの思いもよらぬ時に、突然、花婿がやってくる。 ともし火をともすための「油」を用意していたか否かによって、「賢い5人」と「愚かな5人」に選り分けられる。 主人に預けられた財産をどのように用いたかによって、「忠実な良い僕」と「怠け者の悪い僕」に選り分けられる。 「わたしの兄弟である最も小さな者の一人」にしたかどうかで、羊飼いが羊と山羊を分けるように「永遠の命に与るもの」と「永遠の罰を受ける者」に選り分けられると言う。 その厳粛な風景を通して、「忠実な良い僕」と「怠け者の悪い僕」に分けられた理由を、主人と僕の関係、僕の姿、主人の思いを通して神の民としての務めについて味わいたいと願います。 1タラントンと言えども相当な財産です。 それらを、3人の僕たちの「それぞれの力に応じて」主人は預けたと言う。 「忠実な良い僕」を、信頼した僕がその信頼に見事に応えてくれたから、失敗を恐れず自分のことは二の次にして挑んでくれたから主人は喜んでいるのでしょう。 主人との関係は、「喜びと信頼の関係」です。 ところが、「怠け者の悪い僕」は、主人は貪欲なお方である、万が一損失が出ようものなら激怒する恐ろしいお方であると思っている。 主人とこの僕との関係は、「義務と申し開きの形式的な関係」です。 当時の常識としては申し分のない財産の保管方法を誇らしく報告し、自分の用心深さを主人に対し誇ったのでしょう。 この僕の姿は、些細な戒めを忠実に守ることに汲々とした当時のユダヤ人宗教指導者たちの姿をなぞらえ、イエスの痛烈な批判を表していると言われているのです。 マタイは、主イエスが再び来られたとき、自分たちに託された神の民をどのように生きてきたのか、必ず問われるときがあると理解したのです。 神は私たちが「何を為したか」のではなく、「何を為そうとしたのか」を見てくださるはずです。 主なる神のみ心を尋ね求めることなく、自分の正しさだけを守る宗教指導者たちの姿を「怠け者の悪い僕」であると、咎めておられるのではないでしょうか。 ここで言う「主人の財産」とは、私たちそれぞれに特有の「賜物や才能や能力」と言うよりは、何よりも主なる神が語られたみ言葉、主イエスによって語られた神のみ心であるはずです。 もっと言えば、「終わりの日」のたとえから眺めれば、十字架の死と復活を体験されたイエスご自身でしょう。 本来語られるはずの神のみ心を自らのところに死蔵し、その福音を宣べ伝えることを怠っていると警告しているのでしょう。 主なる神によって託されているみ言葉、神の国の福音、神の民が証言すべき証しを立てるようにと迫っておられるのです。 このように語られた主イエスが、この後すぐに十字架のもとに自ら進んで行かれたのです。 そして、このたとえで語られた「怠け者の悪い僕」にこのお方が私たちになり代わってくださったのです。 私たちに託された財産とは、人間となって十字架に身を置いてくださった主イエスなのです。 神の国から追い出されるはずの私たちを、再び受け入れるために唯一の道を切り開いてくださった主イエスなのです。 現状維持だけに、形だけに終始し、ユダヤの宗教指導者たちのように、自らの正しさを守ることだけに終始するなら、突然「終わりの日」を迎えることになる。 賜物そのものである主イエス、主人として再び来られるその時に、喜びを分かち合いたいと招いてくださっている主イエスのみ心を尋ね求め、私たちの群れもこの秋田の地の住宅地の一区画全体に神の国の一端を垣間見たいと願うばかりです。



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