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「憐れみと赦しをもたらすみ言葉」  イザヤ書55章6~11節

2026-01-18

 主イエスの誕生を待ちわびる「アドベント(待降節)」の際に灯される、4本のろうそくには意味が込められています。 1本目の灯には「赦し」が、2本目の灯には「平和、平安」が、3本目の灯には「喜び」が、そして最後の灯には「神の愛」が示されていると言います。 第一イザヤによって示された不従順による「神の裁き」が語られた後、第二イザヤは「赦しの宣言」から告げ始めるのです。 屈辱の中に沈んできたイスラエルの民に、「神を知るようになるために、あなたがたは選ばれた。 真の神の民となるために、試練として国の滅びと異国への捕囚が与えられた。」 しかし、「わたしの霊を与える。 傷ついた葦を折ることなく、暗くなっていく灯心を消すこともなく、暗くなることも傷つき果てることもない。」と、屈辱の地においても神が共におられたことを知らされた。 そればかりでなく、エルサレムへの帰還への希望をも与えられた。 第一の灯である「赦し」と第二の灯である「平安」と第三の灯である「喜び」が与えられた。 ついに、この世の力に優る「苦難の僕、救い主」が遣わされる。 その「苦難の僕」を通して与えられる「憐れみと愛」の約束が宣言されたのでした。 この第四の灯こそ、イザヤ書の第40章から第55章まで記したと言われる預言者、第二イザヤの記す第55章の締めくくりのみ言葉なのです。 「渇きを覚える者、銀を持たない者も、皆来るがよい。」 「価を払うことなく、水、穀物を求め、ぶどう酒と乳を得よ。」 もうすでにその「対価」は支払われている。 主なる神のこの恵みを受けよと言われているのです。 囚人としての屈辱の日々は、人々の心を満たすことはなかった。 神は、「なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払うのか。 飢えを満たさぬもののために労するのか。」 あなたたちは神の赦しを聞いたのだ。 そのことで心の平安は与えられ、解放され、喜びに満たされたではないか。 物質的な祝福のみならず、この魂の霊的な祝福をも受け取りなさい。 「わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。 あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。 耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。 聞き従って、魂に命を得よ。」とまで言われるのです。 そして、「主を尋ね求めよ、見出しうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。」と叫ぶのです。 「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば 豊かにしてくださる。」と言い、第四の灯が今や灯されたではないかと主なる神は迫るのです。 私たちの日常生活に、人と人との交わりに、その小さな出来事のうえに、主にお会いできるのです。 そこかしこにあふれ出ている神さまの働きに気づくのです。 「わたしの思い、わたしの道」は、「あなたたちの思い、あなたたちの道」とは異なる。 高く超えていると言われる。 「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。 それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。」と言われる。 天と地の区別、創造者と被造物との間にある峻厳なる断絶さえ想起させます。 雨や雪のように、「わたしの口から出るわたしの言葉は、むなしくはわたしのもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ、 わたしが与えた使命を必ず果たす。」と言うのです。 神の口から発せられたみ言葉は、出来事として必ず起こされる。 神の一方的な恵み、神の憐れみとご愛と贖いによる救いが、赦しを与え、平安で覆い、喜びに満たしていく。 それらの一連の働きを突き動かしているのは、「神さまの憐れみと真実なるご愛」です。 私たちが悔い改めたからでも、分かったからでもなく、神の憐れみとご愛に触れたから、新しく立ち上がることが赦されたからです。 神のもとへ立ち帰る道は、この人間としての生涯を歩んで示してくださったイエスを通して注がれる信仰、ご愛による以外には辿りつくことができないのです。



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