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「出来事となった神の言葉」  ルカによる福音書2章8~20節

2026-01-04

 イエスの誕生の出来事が起きた地方で「野宿しながら、夜通し羊の番をしていた」羊飼いたちは、雇われ労働者として過酷な労働に従事していた存在、定住する家も家族もいない存在であったと言います。 ローマ帝国からすれば、住民登録をする必要もない住民の数にも数えられない存在であったのでしょう。 厳しいユダヤの律法に定める社会生活習慣を守ることさえできなかった、汚れた存在であったのです。 そのような羊飼いたちに、「主の天使が近づいてきた」と言います。 天使は驚く彼らに「恐れるな」と呼びかけ、「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」と言うのです。 ローマ皇帝がローマの全領民に住民登録を命じたときに、そのローマの枠を超えて「民全体」に、住民登録ではなく「大きな喜び」を告げるのです。 「あなたがたのために救い主がお生まれになった、この方こそ主メシアである、この出来事があなたがたへのしるしである」と告げられたのです。 神にも、人々にも見捨てられているかのような人々、自分たちも諦め見捨てられていると思わざるを得ない人々に対し、民全体に与えられる大きな喜びが最初に与えられたのです。 「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子が救い主、メシア」、「あなたがたへのしるし」であると言われたのです。 汚れた飼い葉桶の中に寝かされた救い主、いずれローマに対する反逆罪で十字架に磔にされ殺される救い主、汚れたままそれを身に引き受けて、ついにその汚れをご自身の血によって洗い清める救い主となる。 その誕生の時から十字架の死を目指したものが、神の救いの業であったのです。 その救い主と告げられた乳飲み子は弱い存在です。 身を寄せる場所も失っているような現実の中に、神ご自身が入って來られた。 それらの弱さ、貧しさ、汚れすべてをご自身のものとして担い、自ら贖うために徹底してご自身を低くされその生涯を歩み通されたのです。 すると、突然、天の大軍が加わり、「神には栄光、地には平和.御心に適う人にあれ。」と賛美したと言う。 これから起こされるであろう一連の出来事に神の栄光が現れることになる。 そのことをこの地上で信じ受け取る者、み心に適う人には、永遠の平和が与えられると言う。 神のみ言葉を愛し、昼も夜も口ずさむ人は実を結び、しおれることがないのです。 この神の真実な約束の言葉に出会うということは、神の言葉そのものであるイエスに出会う喜びです。 人間のつくった名言や名句を借りて座右の銘とする喜びとは異なり、神の真実な言葉を心の中から語る方と、神の真実な言葉を心の中に宿している方と出会う喜びです。 羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムに行こう。 主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」と、初めて聞いた神の言葉に衝き動かされ話し会うのです。 彼らは命じられたのではなく、神の言葉が出来事となったことを確かめて、神が知らせてくださった出来事を自分の言葉で伝えたのです。 マリアも、羊飼いたちが語った言葉、天使を通して神が語った言葉を聞いて、「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らした」と言います。 激しく心のうちで葛藤したのです。 これらは神と、神の言葉に生き始める人との「交わりの始まり」です。 人と人との交わりもまた、互いに交わされる心の中から発せられる言葉が、真実であるかどうかによって交わりが続くし、深まっていくもする。 神の言葉を口ずさむ者は、神の愛により発せられる言葉を語る人に造り変えられるのです。 その出来事を知らされた人は、神の選びにより主イエスの証人として遣わされていくのです。 羊飼いたちは、「神をあがめ、賛美しながら」外からは気づかない全く別人となって過酷な現場に「帰って行った。」 人々の蔑みの目に晒される羊飼いであり続けたと言うのです。 私たちもまた、出来事となる約束の言葉に出会い、聞いて、心の中から互いに語り合いたい、喜び合いたいのです。



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