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「東方の学者たちの礼拝」  マタイによる福音書2章1~12節

2025-12-28

「あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。 闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。 しかし、あなたの上には、主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。 国々はあなたを照らす光に向かい その輝きに向かって歩む。 みな集い、あなたのもとに来る。 そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。 人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。 こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。」(イザヤ60:1-6)と預言しているように、マタイによる福音書はユダヤから遠い国の占星術の学者たちが駆けつけた光景を、「異邦人による最初の礼拝」として受け止めた出来事であると言うのです。 エルサレムに到着した学者たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」と人々に尋ねるのです。 その噂を聞いたユダヤの国の王ヘロデは不安を抱いたと言う。 ヘロデは直ちに、エルサレムの祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、「そのメシアはいったいどこに生まれることになっているのか」と問い質すのです。 尋ねられた宗教指導者たちは、「ベツレヘムからダビデの再来に匹敵するメシアが生まれ出る」(ミカ5:1)と聖書に書かれていると的確に告げ、ヘロデは自らの地位を保つためにユダヤ人の王として生まれたメシアの抹殺を企てるのです。 ヘロデは「見つかったら知らせるように」と学者たちに戻ってくるように告げ、宗教指導者たちは自分たちの地位や身分が危うくなる恐れからヘロデのメシア抹殺に手助けをするのです。 学者たちはヘロデたちの言葉を聞いて出かけると、「星」が今までと同じように彼らを導き、ついに幼子のいる馬小屋の上に止まったのを見て喜びにあふれたと言います。 彼らは自分たちのなすべきことを故郷に残し、長旅の様々な危険を顧みず「星」だけを頼りに、また、エルサレムで聞いたみ言葉を頼りに知らされた幼子を「ひれ伏して拝みにきた」のです。 彼らの喜びは、「星」に導かれエルサレムにおいて知らされたみ言葉を「暗闇を照らす光、輝き」として成し遂げられたことを確信した喜びでしょう。 クリスマスはヘロデにも、祭司長や律法学者にも、ヨセフとマリアにも、学者たちにも訪れたのです。 クリスマスの出来事を見て、聞いて、知ったのに、本当に人間の姿はまちまちです。 「星」を通して導かれ、エルサレムにおいて「み言葉」に触れ、イエスのもとを尋ねて行った学者たちでした。 聞き伝えではなくみ言葉が出来事となったそのところに身を置いて、異邦人でありながら「礼拝する者」に変えられた学者たちでした。 マタイによる福音書は、イエス・キリストの誕生の事実とともに、そのイエスのみ前に進み出て礼拝する者に変えられた新しい神の民の姿を映し出すのです。 長い間待ち望んでいたことが、今や現実となって礼拝することができるまでになった喜びです。 学者たちは、そのところで布にくるまれた何もできない幼子に出会うのです。 しかし学者たちは、自分たちが大切にしているものをささげてでも礼拝すべきお方として、自らをありのままに差し出して礼拝をささげたのです。 そのしるしが「黄金、乳香、没薬」でしょう。 遠い東方の国から命がけの長旅をして待ち望んでいたメシアに出会い、それがイエス・キリストという赤ちゃんであることを知らされ、そのお方を自らの内に宿して、唆かされたヘロデ王のもとに立ち戻るのではなく、「別の道を通ってもとの自分たちのところに戻って行った」のです。 今までとは違った道を辿るように、「新しい自分」となってもとのところに帰って行ったのです。 彼らの人生の分岐点となった出来事でした。 クリスマスとは、遣わされてきたイエス・キリストを「救い主」として受け取って礼拝するとき、すでにこの世に神の国が到来していること、み言葉が出来事となっていることを証しするために用いられていくときではないでしょうか。 



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