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「絶望を切り拓く希望」 ヨシュア記2章1~14節

2025-10-12

 今朝の聖書箇所を表面的に見ますと、追跡され逮捕される危機に瀕した二人の斥侯の危機脱出に、二人の斥侯を忍ばせた国がこれから攻め入ろうとしている町のひとりの遊女がかかわったという出来事に見えるでしょう。 当時としては、頻繁に訪れる領土にまつわる争いの只中で起こりうる危機脱出のエピソードです。 しかし、この斥候の派遣については、主なる神の備えが伝わってきます。 主なる神は、「わたしの僕モーセは死んだ。 今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。 わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。 あなたを見放すことも、見捨てることもない。 強く、雄々しくあれ。」とヨシュアを励まし踏み出させているのです。 ヨシュアは周到な準備をして参りますが、その中のひとつが、堅固に要塞化されていたエリコの町に二人の斥候を密かに送り出し、町の状況を調べさせることであったのです。 その偵察隊であった二人の斥侯はなぜか、「エリコの地で、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった」と言うのです。 エリコの王に感づかれ追い詰められて辿り着いたところが遊女ラハブの家であったのかもしれません。 ラハブは彼らをかくまうのです。 敵対する異国の二人をかくまうということは、この地を支配するエリコの王に対する反逆です。 ラハブの命をかけた危険な行為です。 危機に瀕した二人の斥候をかくまうその代償に、後日、イスラエルの民がエリコに侵攻する際には、ラハブとその一族の身の安全を得ようとする打算の姿であるかのように見えます。 しかし、ラハブが二人の斥候に、「イスラエルの神が、この土地をあなたがたに与えられたこと、あなたがたの背後におられる神をわたしたちが非常に恐れていること、あなたがたがエジプトから解放されたとき、あなたがたを救うために不思議にも紅海の水を分けられたこと」などすべて、「わたしは知っています。聞いています。 ゆえに、あなたたちの神こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。」と告白したと言うのです。 天地を司る神が、二人の斥候およびイスラエルの人たちと共におられることを見聞きしたからだとラハブは告白するのです。 彼らの背後にある神の約束のみ言葉の確かさ、それが異国の地エリコの町にまで響き、遊女ラハブの心に確信となって育まれていたのではないでしょうか。 ラハブは自分自身にとどまることなく、「父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、わたしたちの命を死から救ってください。 今、主の前でわたしたちに誓ってください。」と祈り、迫るのです。 「主が語られたことを聞いていた。 この地にある人々が、その神がなさることに震えおののいていたし、かつてあなたがたになされたこと、あなたがたを用いて神がなされたことを知っています、聞いています。」と語るのです。 神の前で、「わたしに誓ってください」と迫る「隠された信仰者」の切実な願いに、二人の斥侯はこう答えるのです。 「主がこの土地を我々に与えられるとき、家の窓に真っ赤な赤いひもを結びつけておきなさい。 また、あなたの父母、兄弟、一族を一人残らず家に集めておきなさい。」 これにラハブは、「お言葉どおりにいたしましょう。」と答え、「真っ赤な赤いひも」を掲げるのです。 エリコの町の目出たない、しかもその町の状況がよく分かるラハブの家が用意され、「隠された信仰者ラハブ」を立て、その地を支配する権力の只中にイスラエルの神ご自身を約束の象徴として、「ラハブの祈りの結晶」として、「真っ赤な赤いひも」を掲げたのです。 絶望を切り拓くものは、神のもとから語られる言葉に耳を傾け、聞き留め、それに精一杯応えることによって、考えつきもしない「歴史や人生を一変させる希望」が授けられるのではないでしょうか。



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