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「クリスマスが訪れた後」 マタイによる福音書2章13~15節

2024-12-29

 遥か遠い東方の国の占星術の学者たちは、「ユダヤに新しい王が生まれた」と見て取って、確かめるためにユダヤを訪れたのです。 その知らせを素早く知ったユダヤの領主ヘロデは、「祭司長や律法学者たちを皆集めて問いただした。 その学者たちをひそかに呼び寄せ、見つけるように頼んだ。」と言います。 「星が先だって進み、幼子のいる場所の上に止まった。」と言いますから、学者たちがなぜエルサレムに寄り道をし、「ユダヤ人の王はどこにおられますか」と尋ねたのか疑問が残ります。 ヘロデ王は自分のためなら、自らの妻も親族も子供たちまでも処刑するという残酷さをもっています。 「ヘロデのところに帰るな」と神に告げられ、別の道を通って自分たちの国に帰った学者たちに騙されたとヘロデは知って、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を一人残らず殺させたと言います。 そうしたことを背景に、「ヘロデが、この子を殺そうとしている。 起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。」と夢で神に命じられるのです。 ヨセフは、婚約中のマリアが聖霊によって身ごもっていることが明らかになった際、「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうとした」のです。 自分の正しさに心が奪われ自分の身を守ろうとする一方、マリアをかばおうともするのです。 そのヨセフに神は、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。 マリアは男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。 これは、預言者を通して言われていたことが実現するためである。」と夢で告げられるのです。 この時を境にヨセフは一転して、迷いながらもマリアを守り抜く決断をするのです。 夢から覚めたヨセフは、「起きて、夜のうちに幼子とその母マリアを連れてエジプトの地へ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」と言います。 どれほどの期間がかかるのか先行きが見通せないままに、神のみ言葉に生きていこうとするのです。 マタイによるイエスの誕生の出来事は、このヘロデとヨセフの真の姿を鮮やかに浮かび上がらせています。 占星術の学者たちは、ヘロデという殺す側とヨセフという殺される側の間に立った人たちです。 学者たちは、星の輝き、神の導きだけに頼らず、エルサレムの人々に頼ろうとした。 私たちは迷いや思い煩いから、頼ってはならないものに一時的な安らぎを求めてしまう。 また、ヨセフにとってみれば、イエスを救い主として受け入れるということは、人生の根底が覆されるということでした。 マタイは、これがひとりの乳飲み子との出会いであった。 主なる神のご計画のためにヨセフが用いられて、生まれたばかりのイエスの命はヘロデから守られたと言うのです。 ヨセフを通して、占星術の学者たちを通して、またヘロデを通して、私たちが持ち合わせている本当の姿を様々に浮き彫りにしているのです。 それらの姿が強くなったり、弱くなったり、現れては消え、消えては浮かび上がってくるのです。 ヘロデが特別の悪人でしょうか。 自分の身のため、自分の欲のため、程度の差こそあれ、同じようなことがこの世の歴史の中で繰り返されています。 何もすることのできない乳飲み子が、それぞれの人物の真の姿を映し出すのです。 このお方が、「神共にいます」というインマヌエルの神として宿ってくださるとマタイは語るのです。 マタイの語るクリスマスは、このインマヌエルの神との出会いであったと言います。 イエスにおいて起こされることは、神ご自身が予め決意し、準備して起こされたことであるはずです。 私たちがこのイエスと共にある限り、神がご計画し、約束されたことだけが起こるはずです。 神が決意し、準備された恵みを受け取ろうとしない私たちの頑なな反発と、それに対する神の忍耐があるのです。 神は私たちの側の状況に関係なく、神ご自身の約束に対する「真実」を貫いておられるのです。



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