「誰にも知られなかった神の働き」 ルカによる福音書2章8~20節
幼稚園の園児たちが演じた「クリスマスページェント」が、保護者と教職員の方々の感激を誘っています。 サンタやツリーやケーキやプレゼントではない「世界で最初のクリスマス」の思いもよらなかった驚きと喜びに満たされているように感じます。 果たして多くのキリスト者が同じように、年中行事ではないクリスマスに新しい驚きと感激と喜びを感じ取っておられるだろうか、人間として生まれてくださった主イエスと新しく出会っておられるだろうかと思わされます。 ルカは主イエスの誕生の出来事が、ローマ帝国最初の皇帝アウグストゥスの時代、その皇帝からの住民登録の勅令が発せられた時、ヨセフとマリアという二人の住民登録のための移動の途中、ベツレヘムというダビデの町の家畜小屋において起こされたと詳しく記します。 この出来事を最初に知らされたのは、先祖代々受け継がれてきた「メシア」の誕生を待ち焦がれていたイスラエルの多くの人々ではなく、「野宿しながら夜通し羊の番をしていた羊飼いたちであった」と言うのです。 イザヤは神に信頼しようとしないアハズ王に絶望し、「王によってもたらされる平和」ではなく、「神によってもたらされる平和」を祈り求めるのです。 それが11章の預言です。 「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。 目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。 弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。 その日がくれば、エッサイの根はすべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。 そのとどまるところは栄光に輝く。」とメシア預言をするのです。 ルカはこの700年前のイザヤのメシア預言の中に、イエス・キリストの誕生を見るのです。 イエスはこのイザヤの巻物を開かれ、「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。 この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(4:18-21)と語られたのでした。 主イエスの誕生は、深い暗闇の中に、諦めが漂うだれも声をかけられない沈黙の中に、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちに最初に告げられたのです。 ありふれた羊飼いたちの日常生活の中で、今まで何も見えていなかった夜の暗闇を主の栄光の輝きが照らし出した。 誰からも呼びかけられなかった沈黙を破って神の呼びかけが真っ先に響いた。 恐れた羊飼いたちに、「恐れるな。 わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたの救い主がお生まれになった。 この方こそメシである。」と、700年前にイザヤによって語られた神の約束が今や果たされたと告げ、これが「最初のクリスマス」の夜の光景であったとルカは語るのです。 「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。 これがあなたがたへのしるしである。」と言われ、羊飼いたちは神への賛美を聞いて動き出した。 「さあ、ベツレヘムへ行こう。 そのしるしを見ようではないか。」 羊飼いたちは、「すべて天の使いの話したとおりだった。」ことを見聞きし、今度はそれを人々に知らせるまでになった。 ごく限られた人たちに託された神の隠された働きであったとルカは語るのです。 人の前ではなく、神の前に生きるように変えられる。 神はひとりひとりの名を呼んで、主イエスに出合わせ、それぞれに託された務めを終えて、私のもとへ帰ってくるようにと招いておられるのです。 クリスマスとは、「飼い葉桶」に寝かされた主イエスを自分自身が迎え入れる日、自分自身の救いを事実として受け取り、味わって、その確信を「さあ出かけよう、さあ戻ろう」と証し始める喜びの日であるのかもしれません。