「背後で備えておられた神」 ルツ記2章1~13節
ルツ記の冒頭には「士師が世を治めていたころ」とあります。 「イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいことを行っていた」時代です。 イスラエルの民が主なる神のもとを離れ、勝手気ままに自らの正しいとするままに動いていた世界です。 口に出して語ることが憚れるほど退廃した有様です。 そのような激動の最中に、神の壮大な働きが動き出すのです。 わずか4章のルツ記が、美しい人間模様と素朴な主なる神への信頼が絡み合った小さな家庭に繰り広げられる現実に大きな励ましを得るのです。 飢饉が起きたので、夫婦二人と二人の息子の四人家族がユダの地からモアブの野に移り住んだ。 その小さな家族に夫が死別するという予期せぬことが起きたと言う。 残された妻が「ナオミ」です。 この異教の地で、二人の息子はモアブの女性と結婚したと言う。 その二人の女性のひとりが「ルツ」です。 ところが、今度はその二人の息子が相次いで亡くなり、「ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された」と言います。 ここでナオミは決断します。 「主がその民を顧み、食べ物をお与えになった」と聞いて、住み慣れた場所を後にして故郷に戻る決心をしたのです。 ナオミは二人の息子の嫁に「自分の里に戻りなさい。 あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。 どうか主がそれに報い、どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように」と労い、彼女たちを解放させようとするのです。 イスラエルにとって、モアブ人は「よそ者」です。 ましてや「未亡人」となると、戻ったユダでの生活では過酷な日々を送ることになる。 「自分の里に帰りなさい。 あなたたちよりもわたしのほうがはるかに辛いのです。」と吐露して、「主の御手がわたしに下された」と言います。 これは、ただ食糧を求めて約束の地を離れてしまった夫と共にしたことを悔やんだのかもしれません。 ナオミにとって、姑としての嫁に対する愛情であり、主のもとへ再び立ち帰るために立ち上がった精一杯の信仰であったのです。 このナオミの決断を聞いた二人の嫁は声を上げて泣いて、「あなたとともにあなたの民のもとへ帰ります。」と答えたと言います。 繰り返し説得するナオミに対し、ついに一人の嫁は別れの口づけをしたが、ルツはナオミにすがりついて離れなかったと言います。 ここで、ルツが決断します。 「あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。 あなたの亡くなるところでわたしも死に そこに葬られたいのです。」と言うのです。 ナオミに対する愛情が高じてのことでしょうが、姑を一人にしてはならないという務めと生きがいを見出したのかもしれません。 ナオミに生涯仕えていく思いが、ナオミが仰ぐイスラエルの神に対する信仰へと導くのです。 ルツの決意が固いのを見て、ナオミは二人で故郷への道を歩みます。 時は大麦の刈り入れの始まるころ、場所はナオミが死別した夫の一族の有力な親戚であるボアズが所有する畑です。 立ち上がった人は、故郷へ立ち帰ることを決断したナオミと、ナオミの生涯の面倒をみると決断したルツです。 そのルツが自分の夫を失った後も姑に尽くし、自分の両親と生まれ故郷を捨てて見知らぬ国に来たことを知ったうえで、懸命に朝からずっと働いている姿を知ったうえでボアズはルツと出会うのです。 神が背後で予め整え待っておられたからです。 ルツの言葉には、姑に対する労わりと責任を感じ、ボアズの言葉には、自分自身と同じ「人に対する思い」と同時に、「主なる神への思い」を感じています。 ナオミの言葉には、主の隠された働きを的確に見て取って感謝の祈りをささげられています。 これまでの歩みは無駄ではなかった。 備えられていた永遠の旅に必要な旅であった。 そのために今、この時、この場所、隣り人が与えられている。 祝福の結果を喜ぶのではなく、これほどまでに準備し、招き、決断を起こした主を喜びましょう。