秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「パウロの語る信仰、希望、愛」 テサロニケの信徒への手紙一1章2~10節

2023-09-17

 パウロたちは、アジアからエーゲ海を渡ってフィリピ、テサロニケへと現在のギリシャに入って行きます。 ヨーロッパ宣教の始まりです。 テサロニケの信徒への手紙は福音書が書かれる前のパウロが書いた最も古い手紙だと言われています。 テサロニケでの宣教は、ユダヤ人の会堂で「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 ユダヤ人もギリシャ人もない。 奴隷も自由な身分の者もない。 男も女もない。 イエス・キリストにおいて一つである。」と語り始めたものですから、大変な反発を招いたことは容易に想像がつきます。 ここから多くのユダヤ教からの改宗者が出たことから、ユダヤ人たちは妬み、暴動を起こしてパウロたちを追い出したのです。 しかし、生まれて間なしの教会は、ユダヤ人の会堂から個人の家の教会に移り、多くのギリシャ人、女性たちがパウロたちの伝えた福音に従ったと言います。 指導者たちを失ってしまった何も整っていない生まれたばかりの教会の群れが、蒔かれた種のごとく順調に育っている。 そのことを聞かされたパウロは、「あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。 私たちは、神のみ前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。 この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。」と言うのです。 この感謝の捧げものが、喜びと感謝にあふれたこのテサロニケの信徒への手紙なのです。 パウロの語った有名な「信仰と希望と愛、この三つは、いつまでも残る。 その中で最も大いなるものは愛である。」(コリントⅠ13:13)という言葉の原形がこの手紙の3節に表されています。 「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めている。」と言います。 「信仰」に働きを、「愛」に労苦を、「希望」に忍耐を加えているのです。 「信仰によって働く」とは、神の側からの一方的な恵みに、私たち人間の側が応えるということでしょう。 神の恵みが注がれた者は内に働くものが溢れ出て、それに応えた生活、生き方を通して福音の恵みを伝えていく、分かち合うはずだと言います。 「愛のために労苦する」とは、愛の対象である人の重荷を一緒に担っていくということでしょう。 このような私の重荷を主イエスが背負ってくださったのだから、もう一人の私、隣人にも注がれている愛を分ち合っていくということです。 自分に注がれた「愛」をもって「愛する者」をもつことの喜びが語られているのです。 「希望をもって忍耐する」とは、「イエス・キリストに対する」という言葉が加えられています。 イエスを信じたばかりに誹謗中傷に遭っているテサロニケの教会の人たちが、目に見える現実の希望ではなく、終わりの日、イエスが再び現れ救いを完成してくださる時に必ず報われるという希望に生きている。 神ご自身がイエスを通してずっとご覧になっていてくださって、捉え続けてくださっている。 その「証し」が成し遂げられるまでの時の流れを歩むことを「忍耐」という言葉で表しているのではないでしょうか。 神と人との垂直の関係、人と人の水平の関係、私たちが歩んでいる歴史上の時の流れと神の秘められた計画のうちにある救いの時の流れの関係、この三つの座標軸に、福音を信じる者とそれを拒む者との違いがはっきりと見えてくる。 この三つの方向性は、同じ一つの力、聖霊の導きによって果たされるものです。 主イエス・キリストに結ばれているところからあふれ出てくる「信仰、希望、愛」が、この地上においても現れ出てくる。 この座標軸の源はイエス・キリストご自身であり、この地上と神の国は結ばれているのです。 そこに、主イエスに結ばれた「信仰、希望、愛」の姿が生まれ出てくるとパウロは語るのです。



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元