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「パウロが語る信仰者の姿」 コロサイの信徒への手紙4章2~6節

2023-09-10

 パウロは、コロサイの教会が異質な福音の教えに惑わされ混乱していると、教会の創立者エパフロスから聞いて、「そのことを聞いたときから、わたしたちは絶えず、あなたがたのために祈り願っています。 人間の言い伝えに過ぎない哲学、世を支配する諸霊に気をつけなさい。」と概ね三つの祈りをもって語り始めます。 最初の「祈り」は、「霊によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟るように。」(1:9)と祈ります。 先ず、神の御心を知ること、神ご自身を悟ることだ。 神の起こされる事実から味わい知った最高の知恵と理解を知ることだ。 「主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。」(1:10)と言うのです。 二つ目の「祈り」は、「神の力に従い、強められ、どんなことにも根気強く耐え忍ぶように。」(1:11)と祈ります。 数々の重荷や十字架、試練に耐えるところに、神の業は鮮やかに働く。 神の知恵と力がどれほど素晴らしいものであるかを体全体をもって知ることになると言うのです。 三つ目の「祈り」は、「喜びをもって、あなたがたが恵みに与れるようにしてくださった御父に感謝するように」(1:12)と祈るのです。 御子イエス・キリストを通して成し遂げられた御父の救いの業、「世の初めから代々に渡って隠されていた秘められた計画」(1:26)が明らかになって、その救いの業を受け取って感謝するようにと言うのです。 この三つの「祈り」の根拠を、「あなたがたは神に選ばれ、神に愛されている」(3;12)からだ。 「あなたがたが、主イエス・キリストを受け入れた」(2:6)からだと言うのです。 神の側の働きと私たち人間の側の応答と決断が相俟って、隠されていた「秘められた計画」が明らかにされた。 だから、「キリストに結ばれて歩みなさい。 イエスによって父である神に感謝しなさい。」と祈り、この手紙の最後のまとめの「勧めの言葉」として集約しているのです。 先ず、「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」と言います。 「目を覚まして」とは、キリストがはっきりと見えるように、見失わないように、見えるこの世の力に目を奪われることなく、霊の目と耳が開かれるようにということでしょう。 「ひたすら」とは、生活の節々で、どんなことでも祈り続けるということでしょう。 パウロは、「同時にわたしたちのためにも祈ってください。」と、互いの「祈り」の助けを求めるのです。 次に、「神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。」祈りなさいと言います。 御言葉を受け取るだけでなく、御言葉を語ることができるように。」「神が門を開いてくださるように」と祈りなさいと言うのです。 本来、神のみ言葉を語るということは、人間にとって神の働きがない限り不可能なことです。 「語る」ためには、「聞く者」に対する祈りが必要です。 神のみ言葉を最初に聴かなければ語ることができません。 一方で「語る者」に対する「聞く者」の「祈り」が必要です。 「祈り」が一体となって、礼拝が深められ、外に向かって「宣教」が動き始めるのではないでしょうか。 私たちは、神御自身をすべて理解し、すべて受け入れることができず、受け入れやすいものに置き換えてしまう未熟さや弱さや貧しさをもっています。 「語る者」の唇からそれらは取り除かれなければなりません。 しかし、そのような私たちを、神は忍んで語りかけ、私たちの応答を待っておられるのです。 決して、神は強制などされないし、断罪などなされない。 私たち人間に選び取る決断の自由を与えて、待っていてくださるのです。 パウロは、コロサイの教会の人々に、この世に生きる喜びと苦しみと死を超えた希望がすでに与えられていると、神への信頼の中に感謝と喜びをもって生きるようにと祈っているのです。



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