「祝福をあふれるほど持って」 ローマの信徒への手紙15章22~33節
この手紙の冒頭の挨拶でパウロは、どのような思いでローマの教会の人たちに書き送ったのかふたつのことを語っています。 ひとつは、「イエス・キリストの御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒となりました。」と言い、ユダヤ人ではない異邦人への「宣教の働き」が自分自身の使命であると言います。 もうひとつは、「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。」とローマの教会への訪問を強く願っていると言い、「霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。 互いに持っている信仰によって励まし合いたいのです。」と「交わりの働き」を語るのです。 今朝の聖書箇所では、この手紙の結びとして、これまでローマに「何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。」と言います。 異邦人への福音を告げ知らせる使命から、先ず、ローマ帝国の東半分のイエス・キリストの名がまだ知らされていない所でその働きを果たさなければならなかった。 騒乱や反対運動に妨げられて、ローマとは反対方向にあるところでの宣教に集中しなければならなかった。 その「宣教の働き」を終えて、今、アカイア州の州都コリントにいる。 「今は、もうこの地方に働き場所がない。」 もはや宣教の余地がない。 今度は、ローマ帝国の西半分、その西の端イスパニアに向けて「宣教の働き」を起こしていくというパウロの晩年の宣教ビジョンが語られたのでした。 その大きな働きのために、すでに教会が起こされ建てられているロ-マの教会の支援をパウロは大いに期待して、「あなたがたと共にいる喜びを味わいたい。 キリストの祝福をあふれるほど持って分かち合いたい、励まし合いたい。」と「交わりの働き」を願うのです。 ローマは、今パウロがいるコリントからは目と鼻の先です。 「しかし今は、聖なる者たちに仕えるために」、ローマと反対方向にある「エルサレムに行きます」とパウロは言うのです。 パウロは、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者たちを尊敬の念をもって、「聖なる者たち」と表現しています。 ここまで養われてきた異邦人キリスト者たちの恵みの源を、エルサレムの教会に見ているのです。 これから始めようとしているローマ帝国の西半分の宣教を始める前に、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者と異邦人教会の異邦人キリスト者との連帯をしっかりと結び付けたかったのです。 その証しとして、異邦人キリスト者たちが献げたものをエルサレム教会から注がれた祝福の実として届けたいと、献金の奉仕の業を通してイエス・キリストにあって一つにされることを願ったのです。 しかし、パウロには不安があった。 パウロをキリスト教に回心した裏切者として、エルサレムにいるユダヤ教徒たちは命を狙っていたのです。 また、エルサレム教会の代表的なユダヤ人キリスト者たちは、律法を軽んじ信仰だけによって救われるとするパウロの信仰に強い反感を持っていたのです。 果たして喜んで献金を受け取ってくれるだろうか。 そこで、パウロは共に祈ることをローマの教会の人たちに求めます。 「どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。」と言います。 自分の為に、また自分と一緒に苦しんで戦ってほしいと、まだ行ったことのないローマの教会の人たちにとりなしの祈りを求めるのです。 パウロでさえです。 自分自身の命が守られるよう、献金の奉仕の業がユダヤ人キリスト者たちに受け入れられるよう、イスパニアに向けての新しい「宣教の働き」が起こされるようにという「祈り」、ユダヤ人と異邦人からなるひとつのキリストのからだが築き上げられるようにという「祈り」、「宣教の働き」にも、「交わりの働き」にも必要なる恵みを豊かに与えられて、神の民として一緒に用いられたいという「祈り」なのです。