秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「神の働きを待つ」 使徒言行録18章1~11節

2022-08-28

 「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。」と言います。 16章と17章にあるフィリピ、テサロニケ、アテネでの宣教の後ということです。 アテネの地は、テサロニケの騒動によって追われてたどり着いた当初の宣教計画にはなかった所です。 哲学と芸術の伝統と文化の誇り高い、衰えていたとは言えギリシャ随一の都市です。 「いったいこの男は何を言いたいのだろうか」と興味本位で聞く聴衆がアテネでは多くいたわけですが、結局、パウロの宣教はアテネの人々にあざ笑われ、信仰に入った者もわずかしかいなかったと言います。 フィリピの教会も、テサロニケの教会も心配であったし、直前のアテネでの働きの落胆を引きずって、パウロは「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安だった」と言います。 コリントはローマ帝国の総督府が置かれたアカイア州の州都であり、二つの港をもつ貿易上の要衝で経済的に栄えた裕福な都市でした。 一方、贅沢と不品行にまみれた都市の光景を目の当たりにしたパウロは、恐れと不安の中にコリントへ入って来たのです。 そこでパウロは、「アキラとプリスキラのユダヤ人夫妻に出会った」と言います。 ユダヤ人をローマから追放するというローマ皇帝による命令が降ったことにより、最近コリントへ来ていた二人であったと言いますし、この二人がパウロのその後の宣教活動の協力者となったと言いますから、とても偶然とは思えません。 「テント造り」という職業が同じであったこともあり、パウロは直ちに住居と仕事という生活基盤がコリントで与えられ、「安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めていた」と言います。 更に、フィリピやテサロニケで宣教の働きを共にしていたシラスとテモテが、パウロの宣教の働きのため献金を携えてやってきたのです。 それによりパウロは、「御言葉を語ることに専念できるようになった。 メシアはイエスであると力強く証しした」と言います。 しかし、会堂のユダヤ人たちは、異邦人であるギリシャ人たちと一緒に食事をとるパウロを、律法の戒めを汚す者、十字架に処刑されたようなナザレ人イエスが自分たちのメシアであると宣べ伝える馬鹿な者と口汚く罵るのです。 そこでパウロはきっぱりとユダヤ人たちの会堂と決別し、異邦人の方に行き、「ティティオ・ユスト」というギリシャ人の家に移った、そこは激しく言い争った会堂のすぐ隣であったと言います。 仕方なく立ち去ることを余儀なくされたこの「家の教会」で、思いがけない出来事が次々と起こされていくのです。 なんと会堂を司る「会堂長」が一家を挙げて、「家の教会」に加わってきた。 コリントの多くの人々がパウロの口から発する神のみ言葉を聴いて信じ、バプテスマを受けたと言うのです。 パウロは予期していなかった事実に、神の導きと周到な神の御心の確かさを感じたに違いないのです。 そのような時に神は幻の中で、「恐れるな。 語り続けよ。 黙っているな。」とパウロに呼びかけたのです。 「なぜなら、わたしがあなたと共にいる。 だから、あなたを襲って危害を加える者はいない。」と神は約束されたのです。 意気消沈して「宣教の働き」の意欲や自信を失いかけていたパウロにとって、この呼びかけはどのように聞こえたのでしょうか。 この神の励ましと慰めによって、パウロはよみがえったのです。 「わたしが呼び集め、用意しているわたしの民が大勢いる。」と言われた神の御心を、自分のものとすることができたのではないでしょうか。 私たちの務めは、神の選びの民を呼び覚ますことではなく、神のみ言葉を語り続けることです。 そこで起こされる神の救いの業、新しい出来事を待つことです。 イエス・キリストの十字架による救いは、もうすでに成し遂げられているのです。 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる。」のです。



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