「交わりの回復」 使徒言行録2章1~13節
聖霊が降ってきた時の情景が記されています。 よみがえられたイエスが再三弟子たちにご自身が生きておられることをお示しになった際に、「前にわたしから聞いた、神の約束されたものを待ちなさい。 あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる。」と言われていました。 その弟子たち「一同が一つとなって集まって祈っていたところ」です。 その弟子たち一人一人の上に言葉では表現しようのないものがとどまり、約束されていた賜物、聖霊に満たされたと言うのです。 すると、今まで自分たちの部屋に鍵をかけて祈り合っていた弟子たちが、鍵を開けて、自ら扉を開けて、今まで恐れていたエルサレムの外に向かって動き出した。 その聖霊が語らせるままに、自分たちが使っていた言葉ではない新しい言葉を語り出したと言うのです。 自分の故郷の言葉しか話すことのできなかった弟子たちが、世界に散らされていた神の民に向けて、それぞれが聞き届けることができるほどの新しい言葉をもって語り出した。 ひとつとなって祈り集まっている弟子たち一同のもとに、神が約束された聖霊を降され、彼らを用いて、今までまったく遮断されていた部屋の外に向かって、授けられた新しい言葉によって神の業を伝える「交わり」を取り戻していく出来事が起こされたと言うのです。
言葉は、人と人との大事な「交わり」を支えるにしても、壊すにしても大きな役割を果たします。 創世記に出てくるわずか20行の短い「バベルの塔」の出来事を思い起こします。 その当時、「世界中は同じ言葉を使っていた」と言います。 「移動してきた人々が、そこに住み着いた。 様々なものを見つけ出し、それを用いる技術も手に入れた。 そこに定住し、町を皆で築き上げるまでになった。 神との交わりを象徴する高い塔を立て上げた。 文明も知識も仕組みも整えられた。 次第に人々は誇りをもつようになっていった。」 「もっと有名になろう。 全地に散らされることのないようにしよう。 天まで届く塔のある町にしよう。」と言うまでになった。 自分たちが胸を張って誇れるようになりたい。 これで安心だと頼れるものがほしい。 どのようなことになっても拠り所となるものがこの町にほしい。 これが「バベルの塔」の建設です。 神はこの有様をご覧になって、憐れに思われて、降って来てくださって彼らが語る言葉に混乱を与え、互いの言葉が聞き分けられないようにして、そこから彼らを全地に散らされたのでした。 時が経って、今朝の聖書箇所です。 十字架によってイエスを失い途方に暮れて、心がバラナラになって、エルサレムの片隅に閉じこもっていた弱い、力のない、小さな存在であった弟子たちが、神によって再び集められ、神の群れとされたのです。 各地に散らされていた神の民の群れが祭りを通してエルサレムに集められたのです。 弟子たちには、今までとは異なる新しい言葉が聖霊に導かれて与えられたのでした。 聞く側の人々もまた、弟子たちに授けられた神によって与えられた言葉を聞く力を与えられたのでした。 言葉を語る者にも、言葉を聞く者にも神が働かれたのです。 神との「交わり」を再び取り戻すために、弟子たちの「交わり」が回復されるために、散らされていたはずの人々と弟子たちとの「交わり」が回復されるために、この出来事が起こされたと聖書は語ります。 「天まで届く塔」とは、自分たちが神によって造られたことを忘れて、私たちに恵みとして与えられたものを自分たちの安心のために用いようとしたしるしです。 自分たちが神にとって替わる拠り所を自分たちがつくり上げようとしたものです。 神は、この「神なき交わり」を完全に破壊されたのです。 神との「交わり」こそが、人と人との「交わり」をつくり上げることを思い起こさせようとされたのです。 このイエスの働きが弟子たちに引き継がれたのが、ペンテコステの出来事です。