「どこまでも離れない神」 創世記45章1~13節
ヨセフは、族長ヤコブの息子12人の11番目です。 この異母兄弟の息子たちによって、12部族のイスラエルの民が形づくられました。 兄たちは、父ヤコブにもっとも愛されていたヨセフを妬み、憎んでいました。 兄たちの様子を見てくるようにと父に言われたヨセフが、父の羊の群れを飼っている兄たちのところに近づいてきたのを好機に、兄たちは「ヨセフを殺して、穴に投げ込もう。 あとは、野獣に食われたと言えばよい。」などと相談までしていたと言います。 兄たちはヨセフの着ていた晴れ着をはぎ取り、捕らえて穴に投げ込んで、イシュマエル人に売ろうとしたのです。 そして、ヨセフの着物を殺した雄山羊の血に浸して、野獣に食われたのだと見せかけ父ヤコブを悲しませたのです。 ところが、エジプトに売られてしまったヨセフが、今や、そのエジプトで国を治める者とまでになっていたのです。 聖書は、「主がヨセフと共におられたので」という言葉を再三用いて、ヨセフの行ったことはすべてうまく事が運んだと言います。 エジプトでは、ヨセフがエジプトの王が見た夢を説き明かして、7年の豊作と7年の飢饉が神によって起こされることに気づいて、豊作の時に食糧をできる限り蓄え、飢饉に備えるようにしていたのです。 その食糧の監督を一手に行っていたのがヨセフだったのです。 飢饉に見舞われた所から食糧を求めてやってくる人々が、ヨセフのもとに押し寄せていたのです。 なんとそこに、イスラエルから、自分を売ってしまったその兄たちが食糧を求めてやってきたと言うのです。
一目で、自分の兄たちであること知ったヨセフは、気づかれないように兄たちを試します。 「この国を探りに来たに違いない。 もし本当に正直な人間だと言うのなら、兄弟のうち一人を牢獄に監禁しなさい。 他の者は皆、飢えている家族のために穀物を持って帰り、末の弟をここに連れて来なさい。」と、ヨセフはすべてを知ったうえで兄たちに命じたのです。 末の弟とは、ヨセフと同じ母をもつ唯一の弟、愛すべきベニアミンです。 ヨセフはなぜ、兄弟の一人シメオンを縛り上げ、父のもとにひとり残していた末の弟ベニアミンを連れてくるようにと難題を強要したのでしょうか。 父ヤコブがもっとも悲しむことを、兄たちに強要したのでしょうか。 ヨセフには悲しい過去の体験があります。 兄たちに見捨てられ、互いに家族がひとつにまとまることのできない苦しみ、父を同じように愛することのできない家族間の愛の貧しさを知っています。 ひとり残されるシメオンを本当に兄たちは愛しているのか。 連れて来られたベニアミンを父のもとに連れ帰る覚悟は本当にあるのか。 そのベニアミン、そして兄たち皆が戻ってくるのを心待ちにしている父ヤコブを本当に愛しているのか。 そして、この自分を売った罪深さを兄たちは認め、今では悔い改めているのか。 そのことに、兄たちの姿をじっとヨセフは見つめていたのでしょう。 そのような難題を突き付けられた兄たちを代表して、ユダがヨセフに語った弁明です。 「父ヤコブに、ヨセフが語った厳しい言葉を伝えました。 しかし、ベニアミンを連れてくることこそ、もっとも愛していた息子ヨセフを亡くして悲しむ父ヤコブの最大の痛みです。 もし連れ帰ることができなければ、この自分を代わりに監禁してください。」とヨセフに嘆願したのです。 今までとは違う兄たちの砕かれた姿を、そのユダの弁明する姿にヨセフは見たのでしょう。 父ヤコブを心から愛する兄たちを、その姿によって見極めたのでしょう。 互いに愛し合う兄たちの姿を見て取ったヨセフは、ついに平静を保つことができなくなり、自分の身を明かしたのです。 ヨセフは喜びにあふれ、涙が噴き出たと言います。 ベニアミンと兄たちを抱いて泣いたと記されています。 神はご自身の民、12部族をつくるために、ヨセフを異国の地に前もって遣わし、兄たちをイスラエルから異国の地に遣わし、それぞれに心を砕いて互いに引き合わせてくだる。 どのような境遇にあったとしても、それぞれから離れることなく神は共にいてくださり、それぞれを救うために養ってくださっていたのです。