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「暗闇に戻って行く者」 ヨハネによる福音書13章21~30節

2019-05-26

 小さなイエスの群れにとって、その中から一人でも脱落するということは大きな痛手です。 それもイエスが選ばれた十二弟子の中から、そのイエスを裏切るという出来事が起こったことは深刻な重大事です。 イエスご自身にとってもつらい出来事であったでしょう。 「心騒がせた」とあります。 しかし、イエスは「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と、弟子たちの前で断言したのでした。 このイエスの言葉に弟子たちはうろたえます。 「いったいだれについて言っておられるのか察しかねて、弟子たちは顔を見合わせた」とあります。 「いったいだれのことですか」と尋ねられたイエスは、「わたしがこれからパン切れを浸して与えるのがその人だ。」と言われて、イスカリオテのシモンの子ユダにそのパン切れを渡したのです。 そして、ユダがそれを受け取るのを確認してから、イエスはユダに「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言われたというのです。 ユダは、この群れの金入れまで託されるほど信頼の厚かった人物です。 弟子たちもまた、「この祭りに必要なものを買いなさい。 貧しい人に何か施すように。」とイエスがユダに言われたぐらいにしか受け取ることができなかったのです。 イエスからパン切れを渡されたユダが、「そのパン切れを受け取るとすぐ出て行った。 夜であった。」とこの段落が締めくくられています。 
 再び、夜の暗闇の中に消えて行ったユダの後ろ姿を、イエスはどのようにご覧になったのでしょうか。 この時のユダの中には、「サタンが入った」と書かれています。 ご自分の群れから出て行ったユダの後ろ姿を見届けてからイエスは、「わたしの時が始まった。 神の栄光が示される時が始まった。 わたしが行くところにあなたたちは来ることができない。 しかし、後でついてくることになる。」と言われたのです。 ご自身のもとを離れて、再び暗闇の中に戻って行ったユダ、悪の霊の働きに支配されてしまったユダを再び取り戻すために立ち上がる時が始まった。 父なる神によって用意された十字架という苦難を通ることによって、わたしが栄光を受けるときが来た。 父なる神の栄光が現されるときが来た。」とイエスは言われたのです。 その時を確信したのが、「暗闇の中に戻って行く者、ユダ」の後ろ姿を見届けたその時ではなかったでしょうか。
 イエスはユダに確かに、パン切れを浸して与えておられるのです。 五千人に五つのパンと二匹の魚によって養われたように、「今、しようと思っていることをしようとしているユダ」に渡しておられるのです。 暗闇に戻って行こうとしているユダに、これから始まる「わたしの時」にささげられる命のパンを受けなさいと渡しておられるのです。 ユダはそれを味わうことなく、もう一度イエスを仰いで寄りすがり、助けを求めることをしなかったのです。 イエスは、私たちが「今、しようとしていること」を、ご自身のみ心に沿うようにつくり変えてくださろうとしているのです。 悪の霊が付け入るすきを与えない人などひとりもいないことは、十分ご存知です。 イエスは人が起こす裏切りを背負って、担ぎ上げて、十字架に架け上がってくださっているのです。 「暗闇の中に戻って行った者」も、「暗闇の中に留まる者」も、イエスは取り戻すために、その裏切りの姿をつくり変えて、神の栄光をその後ろ姿に現してくださるのです。 ご自身とは真逆にある「暗闇の世界」にある者をも救い出そうとする、敵をも愛する神の愛の現れです。 イエスの十字架の姿は、暗闇の中に死ぬことに定められている私たちが裁かれている姿そのものです。 そのために献げられたイエスの十字架の死の姿です。 そこまでして私たちを救い出そうとしてくださるのは、新しい命を与え、新しいご自身の務めを与えるためです。 そのために暗闇を照らす光が、暗闇を背負い導く十字架のイエスの姿です



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