秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「福音を告げ知らせる」 コリントの信徒への手紙一1章10~17節

2019-03-03

 イエス・キリストによって呼び出された者たちの群れを、聖書は「エクレシア、教会」と言っています。 神の働き、目に見えない霊の働きによって形づくられた共同体を指します。 この「エクレシア、教会」がこの地上で存在する理由は果たして何でしょうか。 また、いったいどのような務めが与えられているのでしょうか。 「教会」には、ふたつの力が働いているように思います。 ひとつは、教会の中にあって働く、霊なるイエスとの交わりです。 二千年前に十字架に架かってくださったイエスは今や、父なる神によってよみがえらされ、この地上における霊なる働きそのものとなって私たちに伴なってくださっています。 この交わりによって、人と人との交わりが神の愛による交わりへと変えられていくのです。 もうひとつの力は、この群れから外に向かって働き出す力、宣教、伝道です。 問題は外に向かって働き出す力の方角です。 この地上での存在として、「教会」がその存在理由を示そうとすればするほど、立派な存在にしていこう。 世の中の人に認められ、むしろ羨まれるぐらいの存在になろう。 教会がますます発展し、人が増え、建物も立派にしていこう。 霊なるイエスの働きを脇に置いて、人間のものさしによって「教会」をつくり上げようとするのです。 「教会」に働く力は、神の霊なる力です。 風のように自由奔放に働く霊なる大胆な働きです。 私たちの理解不可能な力です。 それをこの世の経験や知恵によって、コントロールしていこう。 このような力がもう一方で働く、この葛藤とせめぎあいが教会の歴史なのではないでしょうか。 
 パウロが設立したコリントの教会がまさに、そのような状態にあったのです。 「あなたがたの間に争いがあると、知らされました」と、手紙の冒頭でパウロは書き始めています。 コリントの教会のめいめいが、「わたしはパウロにつく、アポロにつく、ケファにつく、キリストにつく」と言っている分派争いが起こっています。 パウロこそコリントの教会の創始者です。 パウロを慕っても不思議はありません。 その後に教会に来たアポロは、聖書に精通していただけでなく、弁舌さわやかな説教者であったと言います。 アポロに養われた人々もたくさんいたでしょう。 ケファとは、エルサレム教会の指導者ペトロのことです。 イエスとともに生活した紛れもない使徒の代表者でしたから、心酔していた人も多かったのでしょう。 内紛に嫌気を刺した人々が、人間を離れキリストにつくと新しいグループをつくったのかもしれない。 パウロは、「あなたがたは、キリストに呼び集められた群れではなかったのですか。 キリストはどこに行ったのですか。 教会の中にはキリストはおられないのですか。」と訴えるのです。 人間のことに思いを寄せて、神の思い、キリストの存在を忘れてしまっているコリントの教会の人々に、「皆勝手なことを言わず、仲たがいをせず、心を一つにし、思いを一つにして、キリストにあって固く結び合いなさい。」と言うのです。 目に見える人間の思いを捨てさせ、「十字架に架かってくださったのは、いったいだれですか」と、キリストを思い起こし、十字架を思い起こすためでした。 そしてパウロは、「キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであった」と言うのです。 バプテスマを受けるという行いによって、私たちは救われるのではありません。 イエス・キリストの死と復活に固く結ばれることによって救われるのです。 そのために、十字架の福音、イエス・キリストの福音を告げ知らせることが、私たちの務めなのです。 「教会」はこの世にありながら、この世とは一線を画します。 「時は満ち、神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信じなさい。」という、福音を語る務めが私たちに与えられているのです。 



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元