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「神に出会うことから」 創世記32章23節~33節

2018-08-12

 ヤコブはイサクとリベカの間に生まれた双子の兄弟の弟です。 ふたりは母リベカの胎内にいるときから押し合い、争っています。 弟ヤコブは、「押しのける」という意味のヤコブの名がつけられています。 ヤコブは幼い時から抜け目のない、知恵の回る子どもでした。 兄エサウの空腹につけ込んで、一皿の煮物と引き換えにエサウが受け継ぐはずの「長子の権利」と「神の祝福」を騙して手に入れたのです。 奪い取られたことを後で知ったエサウは怒ります。 ヤコブを殺してやると口走るようになる。 ヤコブはそれから逃れるために、20年間の逃亡生活に入ったのです。 ヤコブは、「わたしは兄が恐ろしいのです。 どうか、兄エサウの手から救ってください。」と神に告白しています。 20年前のエサウに対する恐れに、ヤコブは今もなお縛られています。 20年間、その恐れから逃げていただけです。 エサウと争って、知恵を絞ってやっと神の祝福を手に入れたけれども、ヤコブには少しも平安はなかったのです。 ですから、この「ヤボクの川の渡し」を越えて、いよいよ兄エサウと遭うようになり、エサウは400人のお伴をつれて迎えに来ると聞いて更に恐れを膨らませたヤコブでした。 そこに、神の方からヤコブに働きかけて、ヤコブに一晩中戦いを挑んだ。 それにヤコブが応じてすべてをさらけ出した時に初めて、その相手が神であることをヤコブは知ったのです。 顔と顔を合わせるかのように神を見ることができたと言います。 ヤコブは、自分自身の心の奥底にあるものをつくづく知らされて、砕かれて生まれ変わった。 その時、神が新しい名前をつけてくださった。 名前を明かすということは、相手に自分の素性を知らせるということです。 当時は、自分の命をささげるというほどのことです。 ヤコブは、神から「お前の名前は何というのか」と尋ねられて、「ヤコブです」と神に明かしたのです。 「20年前、兄エサウを騙して、父イサクから兄エサウが受け継ぐべき神の祝福をかすめとったヤコブです」と神に告白できたのです。 エサウと押し合うように争って、知恵をもってかすめとるような祝福を、神の祝福とヤコブは思っていたのでしょう。 ですから、ヤコブには20年間、片時も忘れることのできなかった恐れがあったのです。 長い逃亡生活の間にあった死に対する恐れ、今までやっと手に入れたものを一瞬のうちに失ってしまうかもしれないという恐れ。 これが自分の戦いの相手であると思っていた。 しかし、ヤコブは戦っているうちに知ったのです。 戦っている相手は、恐れや不安に縛られているこの自分を解放してくださろうとしているお方である。 自分が犯してしまった過ちにより、恐れと不安に縛られていたその自分が打ち砕かれ、裁かれ、自分が今まで手に入れたものとは全く異なる新しい祝福を与えようとしてくださっているお方である。 そのことに気づいて、「祝福してくださるまでは離しません」とヤコブは語ったのでしょう。 自分の腿の関節が砕かれる傷跡まで残しながらも、神ご自身から授けてくださる本当の祝福を得ようとしたのです。 
 それでは、「お前は神と人と戦って勝ったからだ」という神の言葉はどういうことでしょう。 聖書にいう神が負けるとは、神が負けてくださったということでしょう。 本来、神の前で犯してしまった過ちによって裁かれなければならないこの私たちが、神に赦されたということでしょう。 ヤコブが神に受け入れられて、赦されて、砕かれて、新しい「イスラエル」という名前を与えられた。 今までとは全く異なる新しい神の祝福に生きるようになった。 これが、ヤボクの渡しでのヤコブの体験です。 この体験が、ヤコブの人間的な心配を拭い去ったのです。 このヤコブに、新しいよみがえりの朝の太陽が昇ったのです。



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