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「イエス・キリストの黙示」 ヨハネの黙示録1章1~3節

2018-02-25

 「ローマ皇帝を神とせよ。」と、皇帝礼拝を全国民に強要していた時代です。 紀元90年の中ごろから終わりにかけての時代です。 ローマ皇帝による激しいキリスト教徒への迫害があった時代です。 その時代に、ヨハネと名乗る人物が、パトモス島と呼ばれる島に流されていた。 「共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。 わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。」と自己紹介しています。 いわゆる島流しの刑でしょう。 ローマ皇帝は主であると告白するようにと強要されていた時に、「イエスが主である」と証言し、ローマ皇帝に従わなかった人物でしょう。 この時代背景、このヨハネが置かれている境遇を考えてみれば、この黙示録が極めて分かりづらく書かれていることは当たり前でしょう。 そのヨハネが、「この預言の言葉は、すぐにも起こるはずのことを、キリストを通して伝えられたものである。」と言っています。 そのことを、「イエス・キリストの黙示」と表現しています。 この「黙示」とは、分からないことが分かるようになる。 覆いが取り除かれるという意味です。 この預言の書は、神が覆いを取り除いて、私たちに隠されていたものを垣間見ることを許されたものである。 「隠されている真実が、イエス・キリストによって明らかにされたものである。」と語っているのです。 
 この黙示録を受け取ったのは、「アジア州にある七つの教会」です。 ローマ帝国による激しいキリスト教徒への迫害により、エルサレムから散らされて行った、苦しんでいるすべての教会の群れが受け取ったのです。 「本当に神はおられるのだろうか。 いったい、神はこのような状況の中で何をされているのだろうか。 何を考えておられるのだろうか。」と問いたくなるのが、それらの教会の群れの心境でしょう。 その苦しみの真っ只中にある群れに発信しているのは、「今、おられ、かつておられ、やがて来られるお方」です。 「玉座の前におられる七つの霊」です。 「死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリスト」ですと語られているのです。 「わたしはアルファであり、オメガである」と言われる永遠なる、全能者なる、創造者なる父なる神が語っている。 「有りて有る者」であると自ら語るそのお方が、イエス・キリストをお遣わしになって、自らの約束の賜物であるすべての「聖霊」をそのもとから注ぎ出して、永遠に私たちと共にいてくださると語っている。 この黙示録は、父なる神、霊なる神、神の子なるイエス・キリスト、一つなる神によって与えられたものであると語っているのです。 
 エジプト、ペルシャ、ローマ、バビロンすべての帝国は栄えては消えていってしまいました。 この世のどのような力が迫ってきたとしても、父なる神、霊なる神、子なる神はひとつとなって神のみこころを成し遂げてくださいます。 「恐れることはない。 この預言の書の言葉を語り、聞き、守る人たちは幸いである。 私の真の恵みと平和を受け取りなさい。」と語りかけてくださっているのです。 神さまを信じたのに、どうしてこのような目に遭わなければならないのか。 納得のいかない苦しみをどうして味なければならないのかと思うことがあるでしょう。 ローマとの戦いに敗れたユダヤの人々が、その都エルサレムを失い、難民となってアジア州に逃れて行ったのです。 そこでもローマ皇帝を崇めないで、屈しないで信仰を守ったのです。 そのひとりひとりに、神は、ローマ皇帝がこの世を支配しているのではない。 神ご自身が霊を注いで、イエス・キリストを遣わして、隠れて支配しておられる。 その完成のためにイエス・キリストとして、「やがて来られる」のです。 見せかけの反映に目を奪われてはならない。 迫害の嵐が吹きすさんでいたとしても、今は目にすることも耳にすることもできない涙も死もない神の国が備えられているのです。



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