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「天の故郷をめざして」 ヘブライ人への手紙11章13~16節

2025-09-21

 「ヘブライ人への手紙」の第11章では、旧約聖書の時代の人物たちの名を次々と挙げ、「信仰によって」という言葉が22回、「信仰のゆえに」という言葉が2回用いられ、彼らは信仰に支えられて生かされたと、まるですぐ近くで見ていたかのような親しさをもって語ります。 その「信仰」を、「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」であると定義し、「昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」と言うのです。 個々の振る舞いに見え隠れする「人間としての迷いや弱さ、何かしらの身勝手さや不信仰」ではなく、彼らの人生全体の歩みのうちに大きく働いた神のご計画とみ心を捉え、この世を駆け巡って死んでいった「おびただしい証人の群れに囲まれている。」(12:1)と言うのです。 決して死者について語るのではなく、その生き様と死に様を通して死者が語っていることを聞こうではないか。 一緒に同じ方向に歩んでいこうではないか。 死者たちと共にこの世の生涯を生かされていこうと迫るのです。 アブラハムは、「故郷カルデアのウルからカナン地方に向けて出発し、一時留まっていたハランを出発したとき75歳であった」と言います。 約束の地がどのようなものであるのかよく分からないのに、「神の約束のゆえに」まだ見えていない最終点としての神の国を望み見てアブラハムは踏み出したのです。 部族社会であった当時を鑑みれば、アブラハムのとった行動は無謀であり、危険なものであったのです。 これから先いったいどうなるのだろうか分からない不安の中に、唯一神のみ言葉だけに立って従ったということです。 自分の知識や経験によって築き上げられた「常識」という吹けば飛ぶような空虚なものではなく、いつまでも変わることのない確かな神の約束に立って生かされていく姿を「信仰によって」と表現するのです。 「神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都」がどのような所であるのか知らずに出発したと同時に、「他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束を受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。」と言います。 約束の地を所有するどころか、定住することさえ叶わない、天幕を張って居を転々としていく生活を共にしたと言うのです。 このアブラハムの最初の動き出しは、父テラの存在による下準備があったからです。 もし父テラが部族から出ていくことを躊躇していたなら、成し遂げられなかったのです。 「信仰によって」何を成し遂げたのかではなく、「更にまさった故郷、天の故郷」を熱望し捜し求めていたかどうかが大切なのです。 その途中で終わる人生に見えたとしても、「神はそれらの人たちの神と呼ばれることを恥となさいません。 神は、彼らのために都を準備されていたからです。」(11:16)と断言するのです。 それぞれの生涯に垣間見た「躓きや欠けや弱さ」にこそ働いてくださる「神の恵み」の働きとその背後にある神のみ心を、走り通した「死者」と共に見出し、「死者」と共に生きることが大切なのではないでしょうか。 「信仰によって」生かされた者は、「信仰」において死んであるべき故郷に立ち戻るのです。 この手紙に記されている「証人たち」こそ、「天の故郷」を前方に見ながら道の途中でこの世の歩みを終えた旅人であり続けたのです。 祝福の連鎖の中にある存在として、繋いでいく務めを私たちは与えられているのです。 神は誰一人として、その生涯を歩み通した者を恥とはなさらない。 すべての人に「永遠の住まい」を用意してくださっているのです。 この世の生涯を走り終えた人を通して語りかけてくださっている神のみ心を聞き取ることです。 それぞれの生涯の結果に縛られず、主イエスに結ばれて神が準備してくださっている故郷に辿り着くよう、召された者も遺された者も共に招かれているのです。 「決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(13:5)のです。



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