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「置かれたところで常に励みなさい」 コリントの信徒への手紙一15章50~58節

2025-07-13

 パウロは、「肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。 朽ちる者が朽ちないものを受け継ぐことはできません。」と言います。 「肉と血」とは、私たちの「からだ」のことを言うのでしょう。 これをもってしては、神の国を受け継ぐことができないとパウロは言い、そこで「わたしはあなたがたに神秘を告げます。」と語るのです。 この「神秘」と訳されているギリシャ語は「ミステリオン」という言葉で「奥義」とも訳され、旧約聖書の時代には明らかにされなかった事柄、神の御心が、今ここに明らかにされ成し遂げられてきた。 そして十字架に死んで、よみがえらされ、天に上られたイエスが再び現れ出る時、世の終わりがある。 コリントの信徒の人々が心の底では疑問に思っていた「死者はどんなふうに復活するのか、どんなからだになるのか。」ということに、パウロは真正面から応えていこうとするのです。 パウロは、「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。」(15:42-44)と言い、これが「神秘」だと言うのです。 「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも活かしてくださるだろう。」(ローマ8:11)とパウロが語っているとおりです。 この世にあっても霊を与えられることによって、「よみがえり、復活」はすでに始まっている。 この私たちの「肉と血」がそのまま蘇生することが復活することではない。 そのような人間が、神の国を受け継ぐこと自体が「神秘」だと言うのです。 しかし、この起こされた「よみがえり、復活」は、「終わりの日」において完成されると言います。 パウロは、「からだ」を取り替えるのではなく、「古いからだの上から新しいからだを着る」と表現します。 神が良きものとして創造したものがいつしか罪の狡猾な働きに縛られ、本来意図されたものとは程遠いものとなった。 それを主イエスの十字架と復活によって取り戻すということ、主イエスという贖いによって買い戻すということ、「古いからだの上から新しいからだを着る」ということです。 これは「神の国を受け継ぐため」なのです。 今、倒されるべきは、「死」そのものです。 人間が「死」に脅かされているのは、「死」のとげである「罪」に縛られているからです。 「死」が滅ぼされれば、朽ちる「からだ」から劇的に変化することになる。 それは神の国を引き継ぐため、いつまでも主イエスと共にいるためなのです。 朽ちるべきものの上に朽ちないものを着せられない限り、今とは異なる新しいからだにはなれない。 しかし、神の恵みの業がすでに起こされている。 私たちはこの復活の約束を受けて、希望が果たされることを待ち望んでいるのです。 58節に、「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。 主イエス・キリストに結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄になることはありません。」と断言するのです。 イエスは、聖霊が下されたことで、この苦しむことのできる「からだ」を担ってくださったのです。 敵意を向ける人たちの救いのため、その「からだ」をもって生きてくださったのです。 「肉と血」は苦しみを避けようとし、死を恐れて見ないよう、考えないようとします。 「からだ」は、聖霊という神の約束の賜物が注がれることによって苦しみを背負ってでも、悲しみを引き受けてでも、生きることができるようになるのです。 私たちの今味わっている苦しみや悲しみや喜び、思い煩いや期待こそ、私たちの中に聖霊が宿っている証しなのではないでしょうか。



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