秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「主イエスを通して入る神の門、神の家」 創世記11章1~9節

2025-03-30

 わずか9節に過ぎない聖書箇所ですが、「バベルの塔」として広く語り継がれています。 一般的には、人間が勝ち取ってきた力と知恵を支えに、神の域に達しようとする人間の驕りの象徴のように語られています。 天まで届くような塔をつくろうとしている人間の姿をご覧になった神さまが、人間の言葉を混乱させ、人間をそこから全地に散らされた。 人間が、その力と知恵によって全地を支配しようとした結果が、人間相互の交わりを壊す結果をもたらしたと受け取られてきたのではないかと思わされます。 ノアの洪水の後、ノアの三人の息子たちの子孫が、祝福のうちに各地に広がっていった。 それぞれのところで異なる「氏族、言語、地域、民族」となったと、10章では描かれている。 しかし、この11章では、逆に神の怒りの結果のように「全地に散らされた」と言う。 ある牧師は、10章で「言語」と訳されている言葉と、11章で「言葉」と訳されている言葉は、明らかに異なる言葉が使われている。 10章の「言語」は、いわゆる母国語で、11章の「言葉」は、異なる「言語」の民をまとめ支配するための公用語を意味するものではないかと言います。 「シンアルの地に住み着いた人々」とは、この創世記が編纂された頃のバビロニア帝国の地に住み着いた、集められた人々ではないかと言われています。 当時のバビロニア帝国は、武力により、様々な文化により栄えた国です。 帝国の諸都市にはそれぞれの都市の神を祀る神殿があり、その脇にはそびえる塔が立った。 高い塔は、現在で言えば30階建ての高層ビルに相当するものもあったと言います。 それほど高い建物を造る技術がすでにあったということです。 「さあ、天まで届く塔の町を建てよう。 有名になろう。 全地に散らされることのないようにしよう。」とは、人々の自信の現れでしょう。 「バベル」とは、バビロンのヘブライ語読みです。 バビロニア帝国が、領土を拡大し、その土地の資源を収奪し、その土地の人々を捕囚として集め、支配し、奴隷化する。 その帝国の支配を確かなものとするために、自らに都合の良い公用語を制定し、その土地の人々に押し付ける。 その有様を「主は降って来て、人間が建てた塔のある町を見て」、「直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と言われたのです。 人のつくる権力や権威を無意味なものとされた。 すでに神との交わりを自ら断ち、神ならぬものを創り出し、それを神殿に納め、この塔を通ってその神殿に入るようにと強制する「人間の支配」を無きものにしようとされた。 神との間に成り立たなくなった「交わり」のように、人と人との間でもその「交わり」が成り立たなくさせたということです。 かつて神さまは、この私たち人間の有様をご覧になって憐れんで、内なる罪に縛られてしまった人間どうしの交わりを破綻させたのです。 神が必要な措置として果たされた「言葉」の混乱であったのでしょう。 人間はそのような内なる誘惑に苛まれるところから散らされました。 神はそのようなところから、アブラハムを起こし、ご自身に交わる信仰を与え養われました。 ついには、神さまは私たち人間の救いのため、イエス・キリストの十字架と復活によって、臆病で弱々しかった弟子たちに聖霊を注ぎ込んで、与えられた信仰に応えて神のみ言葉、福音を自分の言葉で語る新しい「言葉」を授けられたのでした。 主なる神との交わりを回復する唯一の道を切り開いてくださったのです。 このペンテコステの事実にこそ、語る言葉が新しく回復され、神との交わりに止まらず、主イエスと結ばれた者どうしの交わりをも回復されたのです。 神の与える混乱と妨げは、神の救いと恵みの始まりです。 人間の造り上げるような塔から入るのではなく、人間が造り上げた神を祀るような神殿ではなく、「父なる神が準備されている」(ヘブライ1:16)新しい都と神殿があると言うのです。



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元