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「拡がるキリストを知る香り」 コリントの信徒への手紙二2章12~17節 

2024-10-13

 トロアスは、キリストの福音がヨーロッパにもたらされたその契機となった、パウロにとってとても印象深い町です。 一人のマケドニア人が、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください。」と願った幻をパウロは見たのでした。 そのトロアスに「キリストの福音を伝えるために」再び訪れたパウロは、「主によってわたしのために門が開かれていました」と証言するまでに、そこでの宣教活動は順調でした。 トロアスを訪れたもう一つの理由に、この地で弟子テトスと落ち合う約束があったのです。 コリント教会の混乱ぶりに対し、パウロが書きテトスに託した「涙の手紙」をコリントの教会の人たちが読んでどのような反応を示したのか、パウロは一刻も早く知りたかったのです。 その肝心のテトスが約束通りにトロアスに来なかった。 そのテトスに少しでも早く近づくため、トロアスの宣教活動を切り上げてマケドニア州に入って行ったのでした。 その時の心境を、「不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。」と記しています。 パウロは、様々な教会の心配事に常時悩まされていたのです。 そのような状態にある中で、パウロは「神に感謝します。」と言っています。 パウロが感謝していることは、「キリストの勝利の行進に連ならせてくださっていること」だと言います。 それも「いつも」です。 そして、「神が」主イエス・キリストを通してそうしてくださっていると言うのです。 古代ローマの凱旋の行進をもって、イエス・キリストがこの世で歩む姿をパウロはなぞらえるのです。 「イエス・キリストの凱旋する勝利の行進」とは、父なる神のもとから私たちのために遣わされ、この地上の生涯を経て、父なる神のもとへと帰り着く全く新しい道を歩まれたお姿そのものを示すのでしょう。 私たちのために父なる神に献げられた「十字架の死」、そこからの「よみがえり」という道。 神が備えて与えてくださった、この世からの解放と救いと赦しの入り混じった人間が歩むべき唯一の道の行進です。 それに私たちを招いて、呼びかけ、加えてくださっている。 パウロ自身がこれまで味わってきた様々な苦しみ、不安、痛みはそのためのものだった。 主イエスが辿った道のほんの一端を味わうものだった。 私たちと同じように人間として「苦しみ、不安、痛み」を味わいながら歩まれた主イエスの新しい命を携えての行進に加えられるためのものだったとパウロは思い起こすのです。 パウロが感謝しているもうひとつのことは、「キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださっていること」だと言います。 「キリストを知る知識」とは、主イエスに出会い、呼びかけられ、とりなしの祈りに支えられ、それに従ったがゆえに味わった体験、知らされた神の知恵と力の味わいを指すのでしょう。 その味わった「香り」が、「わたしたちを通して」、「至るところに」漂うと言うのです。 この「香り」は、パウロたちを用いておられる神ご自身が漂わさせてくださっていると言い、そこに留まらず自分たちのことを「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」とまで言うのです。 「キリストの香り」という犠牲の香りが、神に向かって献げられ、神が受け入れてくださっていることが大切なのです。 「良い香り」が、救われる者にとって幸いをもたらし、滅びる者にとって裁きとなるとしても、その働きはすべて神のみ手の中にあるはずです。 その働きに「与ること」が赦されていることに、パウロは気づかされ神に感謝しているのです。 パウロのごとく、不安や弱さを憶えつつも神にその働きを感謝しつつ、委ねつつ、逃げることなく委ねて結果はどうであれ進むのです。 そうすれば、自分を見つめることから始まって、主イエスを仰ぎ、励まされ、主イエスの神のもとへと凱旋していく行進に加えられていることに気づかされ、神に受け入れられる「良い香り」を漂わせてくださるのです。



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