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「互いに愛し合う神の子たち」 ヨハネの手紙一3章11~18節

2024-08-11

 「御子の内にいつもとどまりなさい。 だれにも惑わされないようにしなさい。」と勧告し、依然として「この世」で「罪のうちを歩む者」と、そうしたものに取り囲まれながらも御子なるイエスと共に生きていこうとする「神から生まれた者」を対比し、私たちを縛りづける「この世の罪と死」という力から解放されるようにと、この手紙が強力に勧める言葉が「互いに愛し合うこと」だと言うのです。 「カインのようになってはいけません。」とありますが、これは最初の人間アダムとエバの間に生まれた兄カインと弟アベルの間に起こされた殺人事件です。 土を耕す者となった兄カインは、「土の実りを献げ物として持って来た。」 羊を飼う者となった弟アベルは、「羊の群れの中から肥えた初子をもって来た。」と言います。 二人は神の祝福に対し、祭壇を築き礼拝しようとしたのですが、神は二人のささげる「信仰」を見ておられたのです。 神は弟アベルとその献げ物に目を留められたが、兄カインとその献げ物に目を留められなかったと言う。 少なくとも、神の恵みに対する感謝と賛美の思いは二人にはあったでしょう。 しかし、自分の献げ物が神に目を留められなかった兄カインは、「激しく怒って顔を伏せた」と言います。 神は、「どうして怒るのか。 どうして顔を伏せるのか。 お前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。 お前が怒りを抑えることができないのなら、戸口で待っているこの世の力である罪に支配されるようになる。」と言われたのです。 神は献げ物ではなく、カインの心の中に隠されていた「怒りの根源」を見抜いておられたのです。 兄カインは怒りと嫉妬にかられて、弟アベルに向け襲ってしまったのです。 この世に生きる限り、互いにぶつかり合うこともしばしばあるでしょう。 イエスは、「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」(マタイ5:23-24)と言われて、目に見える兄弟との交わりが壊れてしまっている状態で、目に見えない神との交わりを果たして持てるのだろうかと迫ります。 神はご自身の愛を、御子であるイエス・キリストを通して注いでくださって、私たちの状態如何に関わらず先ず神の子として受け入れてくださったのです。 その救いの恵み、注がれたご愛に満たされて、その神からの賜物をもって与えられた「隣り人、兄弟姉妹」に注ぎなさいと招いておられるのです。 この手紙は、今や、「わたしたちは、自分が死から命へ移ったことを知っています。」 この新しい命は、イエスが語られたこと、果たされたことを、この私のためであると信じ、教えられた福音を受け入れた瞬間から始まり、芽生えている。 「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。 そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」と告白するのです。 私たちは、御子なるイエス・キリストを通して、神との出会いと交わりを体験しなければ、神のご愛を深く味わうことができないのです。 神のもとからしか注がれない驚くべきご愛に、その出会いと交わりにより気づかされるのです。 注がれた恵みとご愛は、私たちが受け取るだけでなく身近な「隣り人、兄弟姉妹」に分かち合うためのものです。 「この世」は様々なものを駆使して、私たちを自分のことしか考えられないように縛ります。 神はそのような私たちを裁くためではなく、救い出すために神のご愛の前に立たせてくださるのです。 神のご愛に満たされた神の子たちは、その「隣り人」をも愛する生き方が備えられ、やがて整えられ、神の子どもにふさわしく成長させてくださるのです。 「この世」とは、かつて私たちが住んでいたところ、今や、つくり変えられて「死から命へと移ったことを知った者」として遣わされているところなのです。



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