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「光と暗闇の関係」 マタイによる福音書2章13~23節

2023-06-25

 星の輝きだけを頼りに、はるばるエルサレムにまで尋ね求めやってきた「占星術の学者たち」が、やはりその通りであったと確かめることができた、その幼子を直に拝することができたという二重の喜びをもって自分たちの国へ帰って行った直後のことです。 喜びの時、良い知らせを受けた直後のことです。 主の天使がヨセフに現れ、「起きて、その子供とその母親を連れて、エジプトに逃げなさい。 そこで、私が告げるまで、そこに留まっていなさい。」と告げられたとマタイは言います。 その理由は、「ユダヤの領主であったヘロデが、この子を捜し出して殺そうとしている」からだと言うのです。 自分に取って替わる「新しいユダヤ人の王がお生まれになった」と「占星術の学者たち」が捜し始めていることを聞きつけ心穏やかでなかったヘロデが、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」と言うのです。 そのヘロデが死ぬと、今度もまた同じように「イスラエルの地に戻りなさい。」と言われた。 イスラエルに戻ったものの、ヘロデの後を継いだアルケラオが悪政をもって支配していたので、夢でのお告げに従い「ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に身を隠して目立たぬよう移り住んだ」と、右往左往させられるヨセフとマリアと幼子イエスの小さな家族の姿を、マタイはわざわざ書き加えているのです。 そして、これらの出来事はすべて、聖書の預言通りの出来事であったとその都度付け加えているのです。 人間の世界の片隅で起こった小さな歴史に、これから始まる神の大きな救いの歴史が始まった、その明と暗の二つの歴史の絡み合った出来事であったとマタイは告白するのです。 権力欲に富み、「新しいユダヤの王」という存在が現れると聞いて、直ちにその幼子を捜し出し殺そうとするヘロデの姿。 ヘロデの自分勝手な都合により故郷を捨てなくてはならなくなったヨセフとマリアの姿。 どちらも私たち人間の姿を映し出しているのでしょう。 そのような小さな家族の上に神のみ言葉が臨んだのです。 「エジプトへ逃げ、わたしが告げるまで、そこに留まっていなさい。」 ヘロデの死後には、「イスラエルに戻りなさい。」 この時のイスラエルの厳しい状況から、「ガリラヤ地方に移り住みなさい。」と神のみ言葉に翻弄されたのです。 しかし、それらの出来事はすべて、神のみ心を果たすためであったと言うのです。 世界の歴史を塗り替えるほどの出来事がその身に起こされるイエスは、その使命を果たす為に幼子の時から守られている。 世界の片隅で起こされている小さな家族の歴史に、神の救いの大きな歴史の始まりが絡み合って始まっている。 ヨセフもマリアも幼子イエスも、またその周辺においても神の歴史が始まっている。 この一連の小さな家族の逃亡の歩みこそ、神の導きと神の約束のみ言葉に守られて歩む体験を人間として味わうものであったのです。 「草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(イザヤ40:8)と記されています。 人間の歴史の虚しさ、底浅さを知れば知るほど、神の歴史の広さ、深さ、高さ、大きさを知ることになる。 自分の罪深さを知れば知るほど、神のご愛の赦しと救いの尊さと恵みを見出すことになる。 マタイも、人間の歴史の暗の現実に目を閉ざさずあるがままに見て、同時に、人間の歴史を越えて変わらず働いている生きた神の救いの明の歴史があることを見つけ出したのです。 小さな出来事にこそ、神の歴史は静かに始まるのです。 その呼びかけが、小さな存在を用いてみ心を果たしてくださるのです。 イエスは、暗闇に負ける姿を取られ、暗闇をも赦し、解放しようと、暗闇を越えた父なる神にすべて委ねられたのです。 光は今もって暗闇の中で輝き続けている。 暗闇は光に勝たなかった、暗闇は光を理解しなかったのです。 



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