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「注がれて示された神の愛」 ヨハネの手紙一4章7~16節

2023-02-12

 ヨハネの手紙一の4章のみ言葉の中から、五つのみ言葉を中心に語らせていただきます。 一つ目は、「愛は神から出るもの」というみ言葉です。 「愛」は、神にのみその起源をもつと言っていることです。 聖書の言う「愛」とは、私たちの中から湧いて出てくるようなものではなく、神ご自身のご性質の中にあるもの、神に特有のものであると言っている。 8節に「神は、愛だからです。」、16節に「神は愛です。」と言っていることです。 神のなさることはすべて、この「愛」から出てくるものであると言い切っていることです。 言いかえれば、神を知るためには、この「愛」以外に知るすべはないと言っているのかもしれません。 「愛」が、神にのみその起源をもつと言うなら、7節「愛する者は皆、神から生まれた者」、「神を知っている者」ということになるでしょう。 これが、二つ目のみ言葉です。 神を知ること、イエス・キリストを知ること、これが神の国に入ること、新しい命に生かされることだと聖書は明確に語っているのです。 8節には、「愛することのない者は、神を知りません。」と言うのです。 この神を知ること、神を知ろうとすること、これが「神の愛」を受け取ることができるようになるということです。 三つ目のみ言葉は、9節の「ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」というみ言葉です。 「神が独り子を世にお遣わしになった。 そのお方によって、わたしたちが生きるようになった。」 イエス・キリストが、私たちと同じ体を背負う人となって、私たちが生きるこの世に降って来てくださった。 そのイエス・キリストが、十字架という悲惨な極刑によって、私たちに代わってこの世に死んでくださった。 そのイエス・キリストの人間としての父なる神への全き従順によって、新しい命、神の国に生きる命が私たちのために授けられた。 私たちが、このイエス・キリストを信じて、倣い、父なる神のもとへ立ち帰ることができる道が切り開かれた。 「ここに、神の愛が示された。」と語っているのです。 「ここに、神の愛が示されました」と言うだけでなく、10節には、「ここに神の愛があります。」と言います。 四つ目のみ言葉です。 私たち人間が何かをしたとか、新しく変えられたとかではなく、すべて神の側で果たしてくださったことの中に、神の愛があると言っている。 私たちが求めて祈ったから、私たちが神を愛したからではなく、父なる神が私たちを愛してくださったから、イエス・キリストがこの世に遣わされて来た。 そのイエス・キリストが、私たちの罪と咎のために、「償ういけにえ」となってくださった。 私たちが、イエス・キリストのゆえに赦された、救い出された、解放されたから、ここに「神の愛がある」と言っているのです。 だから、もう神の愛を求め、捜し回る必要はない。 ここにある「神の愛」を受け取ることだけだ。 私たちがいつでも向きを変えて、感謝して受け取ることのできる十字架という出来事、事実の中に「神の愛」が示され、今、ここで生きて働いてくださっている。 そうであるのに、回り道をして、求めてやまず、探し続けて通り過ぎて行った人々の余りの多さに気づかされます。 第五のみ言葉は、11節の「神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」というみ言葉です。 「わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださる。 神の愛が、わたしたちの内に全うされる。」とまで言います。 愛の起源が神であるとするなら、神から私たちへ、私たちから互いの私たちへという「神の愛」の流れがあると語っているのです。 神がこの「神の愛」の流れを通して、働いておられることが分かるようになるのです。 私たちが見ることができるようになるのは、この「神の愛の働き」なのです。



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