「アドベントとは」 ペトロの手紙一1章3~9節
手紙の差出人は、「イエス・キリストの使徒ペトロ」です。 イエスの地上の歩みを共にした12弟子の一番弟子であるペトロです。 手紙の名宛人は、「小アジア各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」です。 ローマ帝国の激しい迫害のもと、離散させられ異教社会の中で肩身の狭い思いをしている最初の頃のキリスト者たちの小さな群れです。 彼らをペトロは、「神のご計画、神のみ心」に結ばれて用いられている「選ばれた人たち」と表現します。 パウロの投獄、処罰を受けて、パウロが開拓した小アジア地方の信徒たちに向けて、同じ迫害の苦しみの中にあるペトロ自身が書き記した「励ましの手紙」です。 その冒頭の言葉が、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。」という言葉です。 互いに過酷な状況にありながらも、神への賛美によって始めるのです。 「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ8:10)と言われているとおりです。 ペトロは散らされ苦しんでいる人たちに、「神の豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせてくださったではありませんか。 死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えてくださったではありませんか。 あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださったではありませんか。」と呼びかけます。 このように訴えるかつてのペトロを思い起こしてみてください。 イエスの中心的な弟子であったにも拘わらず、こともあろうに慕っていたイエスを裏切り、逃げて、知らないと三度も口を閉ざし、悔いて閉じこもって絶望の中にいたペトロです。 そのペトロに復活されたイエスが、「わたしを愛するか」と三度も直接尋ね、「わたしの小羊を飼いなさい。 わたしの羊の世話をしなさい。」とすべてを赦し、絶望の中から救い出したのです。 「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。 だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)と言われ、涙を拭いながら立ち直らせていただいたのです。 そのペトロが、「終わりの時に準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいる。」とまで語り、失意の中にある散らされた信徒たちを励ますのです。 「今しばらく、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれません。」と言い、そこでは与えられている信仰が「火で精錬される」ように吟味され、日々注がれていく。 「イエス・キリストが再び現れる時」には、その試練に磨かれた「信仰」がキリストの栄光を現わすまでに照らされると言います。 散らされ苦しむ人たちの姿を、「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」と表現するのです。 蔑まれ、辱めを受けても、いずれ与えられるであろうすでに準備されている「救い」を見据え確信をもって今を生きる。 解決の出口は一切見えていないけれども、言い尽くせないすばらしい喜びに浸りながら生きる姿に見える。 いずれその「救い」の時がくることを信じている。 希望をもって待ち続けている。 もうすでに「信仰の実りとして魂の救いを受けている」とまで言うのです。 アドベントの時こそ、人となって地上に来られ、十字架の上で贖いを成し遂げてくださって、天に引き上げられたイエス・キリストがこの身に出会って内に宿ってくださるよう待ち望みましょう。 やがて再び来られ神の恵みの世界を完成してくださるイエス・キリストを信じて待ち望みましょう。 待つこと、信じること、期待することを「神の確かさ」と「私たちの小さな決断」をもって希望を先取りしましょう。